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いつでも、流れている「現実」の世界:8
(続き)
日々の暮らしをしていると、
「調子良い時」「そうでもない時」を、感じる。
完璧主義だった時、
フルタイムで仕事についていた時は
『毎日好調』についても
自分自身に課していた。
30代までは
それでもなんとかこなせたけど、
30代の終わりには
動けなくなって、実家へ戻る。
反省して
アルバイトで働こうと
それなりの妥協をした
にもかかわらず。
(^^)⇦この度、手術入院する羽目に。
(※入院時は「腸閉塞」
1週間検査を繰り返し、判明したのは「盲腸がん」)
まさか。
私が「開腹手術」を、経験するなんて
想像すらできないことだった。
耳のピアスだって
絶対に開けたくないと思うほどに
自分の身体に意図して、傷をつけることには
とても抵抗があった。
8年経過したけど、
「右足骨折(皿にヒビが入った)」も。
まさかの、出来事だった。
”ミドルエイジ”には、
頷ける経験かもしれない。
長く生きていれば、
色んなことを体験する。
それでも、
『他の経験をすれば』
回避できたのかもしれない、
とも、思う。
人生のアップダウンは
その内容や規模は違っても
だいたい、起きてくる。
(よほど若いうちから
”良い生活習慣”を実践していれば、
そうでもないんだろうけど。)
『人間だもの』
私も40代には
完璧じゃなくていい自分を
ようやく受け入れるようになったけど、
「自分でやらなきゃ。」
自力で動けるうちは
人の手助けを「受けていけない」と
(高齢でもないし、病弱でもないから)
長く思い込んでいた。
今でこそ、
『助けてもらっていい。』ことは
経験から、納得している。
自分ではできないのだから、
そうするしかない。
そして、
何事も「ありがたい」と感じられる。
足の骨折で歩きにくくなった時には
『ゆっくり歩くと、人が声をかけてくれる』と
やっと、気がついた。
それまでは
不自由のない足取りで
数秒でも速く、
隙間にできることを増やそうとした。
歩きにくい、ゆっくりペースになって
やっと私の視界に
高齢者、妊婦さん、
足の不自由な車椅子の方が
たくさん登場したし、
駅の階段の段差が低いことや
階段に手すりがあることが
「公共の場には必要だったんだ」と
気がつけた。
これも、きっと
核家族で育った昭和世代の盲点で
もし、身近に
高齢者や車椅子の方
妊婦さんが
生活上、一緒に過ごしていたなら。
子供の頃から
気がつけていただろうと、思う。
つまり、
”人を助ける思考や体勢”に
子供なりに
本能で変化しただろうと、思う。
自分自身で体験するまで、
私には「思いやり」が欠けていた。
実家に戻って、
家族との関わりの中にも、思う。
『それって、思いやり、無くない???』と。
私もそうだったから、
実家の家族とはいえ、
一方的に、
批判ばかりしていられない。
そして「できない」が増えている
高齢の両親についても、
手術入院して
「できない」が増えた私だからこそ
理解できるし
私にできることは、手伝いたいと思う。
それでも、両親ともに
(さすが、私の両親かもしれないけど・・・。)
『助けて欲しい。』
とは、言わない。
できることは、自分でやる。
高齢者のポリシーかもしれないけど
姉妹と共に
常に両親に対して「大丈夫か?」を
こちらから、確認しなければ
どこかで無理するんじゃないかと
『心配をする。』
この、
一見優しいようで
相手を”思いやっているかのような”
『心配』も、
この度の、
手術入院体験を経て、やっと
『要らないもの』だと、体感した。
過干渉、過度の心配よりも
『大丈夫だ』と信じてくれること。
これに気がついて
この数ヶ月、両親のことも
私自身は、心配しなくなった。
(姉や妹に任せている、とも言える。)
午前に戻れると、車で出かけた父が
昼を過ぎても
”予定通りに帰らない、連絡もない。”
それを、あえて心配せずに
息子を見守っているだろう
「おじいちゃん、おばあちゃん」に
お任せしておくことにした。
案の定、
ただ病院の時間が、長かっただけ。
私自身が、日々見守られているように
両親にも、見守ってくれる存在はいるはず。
もちろん、
リアルに外出した先にも
『人がいてくれる』日本の社会。
万が一のことがあれば
近くの方が、対応してくれる。
それを、
信頼してみることにした。
途端に、高齢の両親と暮らすことが
なんでも無くなった。
多少の食の好みに違いがあっても
価値観の差があっても、
まあまあ、
対処の工夫はできることばかり。
退院して2ヶ月、
手術後3ヶ月経過して
とても平穏な、私がいる。
そんな私を、
入院中には想像することはできなかった。
昨晩、やっと
「連続して8時間の睡眠」が取れて
心身ともに、ホッとした。
眠れるということは
回復も、それなりに早くなる。
腰が痛い、眩暈がして気持ち悪い・・・。
そんな状況からも
抜け出せて、夢見もよくなった。
そしてゆっくりした
朝食と支度の最中に、
『私らしい』使命に気が付く。
ああ、それでよかったんだ。
無理がない、人と比べない
「昔からできていた」
私にとっては
とても当たり前すぎること。
そういう
ふとした気づきは
心身ともに暖かく
緩んだ時に、やってくる。
(続く)