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言葉を見直す、1日目。


『言葉は、人を抱きしめるように使う。』


アフリカへ留学された
画家のショウゲンさんが


村の3歳の女の子に
『お母さんに抱きしめられたことが、ないの?』


そう言って抱きしめられた、エピソード。


ひすいこたろうさんが
動画を通じて、ご紹介されたから


ご存知な方も、多いと思う。


言葉は、ただの音のやりとりで
情報のやり取りにしか、使ってこなかった。


記憶がない頃には
育ててもらってるとは、思うけど。


母親に抱きしめられたことも
「抱きしめられるように」感じる言葉も


受け取った覚えはない。


父と母が『感じること』を
会話にしたことも、無かったんだと思う。


言葉は、親から伝わってくるし
使い方も、親に学ぶっていうのは


『電話の声が、そっくり』と
(今は、あまり無いことかもしれないけど)


家の固定電話しかなかった時代に
真似して話す、


「無意識の学習」に


今更ながら、思うけど。


話し方も、声の出し方も
『模倣』から始まって


よほど歌を習うとか
話し方を習うとかいう機会がないと


『自分がどんな話し方をしているか?』
そんなこと、気にしない。


日本語が話せれば、
生活には困らない、国内生活。


中学校の英語の授業で
やっと外国語に触れるけど、



長く挑戦して
後で気がつくこと。


『私』を表現できないのは
感じることを、言葉にしないから。


日本語は、
朝起きた時から眠るまで

だいたい、
全てを言葉にできるけど。


ホームステイをしない限り
「1日の暮らし」を


英語で知る・聞くことはない。


『社会的な』部分の
あいさつ言葉から、学ぶことになる。


だから、読み書きができても
話すと聴くは、苦手なのかも?とも、思う。



日本が核家族体制になって、
60年、70年にはなるんだろうか?


都市に近い母方の祖父母は
途中から別居を選んで、

核家族で、過ごしていたらしい。


田舎暮らしの
父方の祖父母は


頼れる範囲に、曽祖母がいた。
(親戚が近くにもあった。)


二人の姉は産婆さんに
手伝ってもらっての誕生。


叔父叔母も
祖父母がいたために


娘を預けて、共働きができた。


もちろん
それぞれの選択だし


良し悪しあっての生活だけど。


言葉と、暮らしの習慣は
その後の人生に大きく影響する。



人生の後半になっても、
まだまだ、言葉は学びの最中で


若手ほどの
やわらかい思考ではないけど。


おかげさまで、
やっと言葉のことを


もっともっと、
丁寧に扱うことを心がけたいと


今になって、見直せるようになった。


文字表現なら、見直しができる。


でも声としてその場で
人に発する言葉は、


届けた後にしか
気がつけないことが大半。


まずは、
ゆっくり話していくことと


声を発する私が今、
心地よくあるのか?


言葉を発するに
適切な状況なのか?


丁寧に言葉が届けられるように
日々の「今」を感じておきたい。


新しい言葉を得るには
人に会うか、本を読むか


何かしらの感動がないと
言葉は、入ってこない。


本を読むことには
抵抗が強くなってきた、この頃。


なるべく人に会うか?
動画で、でも、感じ良い人の話を聞くか?


温度のある声や言葉を
使える日常へと、変化していきたいものだ。


言葉の見直し、ブログ。


カフェの道のりのように
100日目まで、続くかな?


今回は、毎日投稿じゃなく
ゆるりと年末まで、年度末までと


長期にわたる挑戦にして
地道に習慣づけていきたい♫






















































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