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悲しいと伝えることの必要性

その人に悪気がなくても、何気ない一言に傷つくことってありませんか?

ぼくはそういう一言にいつまでもつまずいてしまいます。
最悪の場合は、長い付き合いや良好な関係でも、その一言で関係を断つこともあります。

なぜ相手はこの言葉を使ったんだろう?
その言葉を相手に問いかけず、自分の頭の中で回し続けてしまいます。
結果として「相手がぼくを嫌っているから」「気持ちに寄り添ってくれない人だったから」「ぼくがネガティブに受け取ってしまったから」などなど、ろくなことになりません。

相手を嫌いになるならわかりやすいものですが、相手への罪悪感でいっぱいになり、この人と一緒にいたら傷つけてしまうからと離れてしまうことも多いです。

そんなぼくが今回、とあることで「悲しい」と感じ、それを伝えるべきか一晩悩みました。

結論から言えば、伝えたことで関係は好転しました。相手にまったく悪気はなく、その意図を聞いたことで心が軽くなりました。
普段ならそっと離れてしまうところですが、相手の方が支援員さんということもあって話してみようという動機づけになりました。

「好き」「うれしい」「ありがとう」と伝えることには素直で、そう思ったら照れずにすぐ伝える方です。

その反面、「嫌い」「悲しい」などの負の感情を直接伝えることはほぼありません。衝突するのがそもそも苦手で(メンタルの消耗が激しすぎるので)、自責の念もあって「悲しいと伝えるなんて、それって相手に変われと言っているようなものではないか?」「自己満足でしかないのではないか?」「相手のせいにしているのではないか?」と思ってしまいます。

それでも、人間関係を続けていく中で、こういう摩擦は避けては通れないものですよね。仲良くなった相手ほど、価値観で衝突した時の反動は大きいです。その「衝突」を考えるのが、ぼくの当面の課題になりそうです。

と、ここまで長々と書いてきましたが、そもそも「衝突」する必要性はあるのか?という原点に立ち返って考えることが重要かもしれません。

それに「衝突」した気になったのはぼくだけで、相手は何とも感じていなかったら?
その一面だけですべてを断ち切る必要性はあるのか?
本心ではこれからも仲良くしていきたいと思うのなら、相手に投げかけてみることが大事なのではないか?

ぼくは自覚している以上に人のことを信じられていないし、自分の言葉や感覚が通じるとも思っていないのかなと実感しました。


春。
別れと出会いの季節です。
すでに多くの別れがありましたし、3月末でお別れになる方もいらっしゃいます。

強い風が吹いています。

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