QUANTA.urban retreat-3ヶ月目-
5月も4日を過ぎようとしている。
4月下旬にうけた3回目のmotokoさんのセッションについて
忘れないうちに書いておく。
自分的には、内側外側ともに平和な日が続いていた4月。
長らく実家に対し激しい葛藤を抱えていたわたしだけど、ここまでのセッションのおかげでその現実は自分が創造していたということが肚落ちし、受け入れ、超スッキリしていた。
なんなら産後初めて「自分のための」一人旅を決行し学びたいことを学んできたところでもあったので、軽くお祭りムードをかもしてもいた。
身も心も晴れやかで心地よい。
「わたし、もうretreatなしでもいいかもしれん」
軽い足取りで神宮前へ向かう。今思えばどれだけお調子者なのかと思うが、ほんとにそんな気持ちだった。
到着してそうそう、motokoさんに
「おっ、なんかさっぱりしてるね〜〜!」
と声をかけてもらい「わかりますー?」と嬉しさいっぱいになる。
こういう言葉の返し方自体、以前の自分になかったやつだ。
内心やった!とおもってるくせに
「え、そうですか?うれしいです」と返すのが旧meスタイル。(硬い。へんなもの被ってる。)
メンバーが揃い、motokoさんのお話がはじまった。
流れのなかで「耐えてること、我慢してること」について質問が投げかけられ、わたしは迷うことなく「今はとくにありません。スッキリしています」と答えた。
するとmotokoさんから小気味良いまっすぐなことばがシャッ!と返ってきた。
「よく感じてみて。呼吸するように当たり前に耐えたり我慢したりしてるから、気づいていないんだとおもうよ?」
(※わたしの意訳です)
さいしょはポカン。
だけどみんなとのやり取りを聞くなかで、しだいにmotokoさんがいわんとすることの輪郭や感覚が立ち上がってきた。
いかに周りばかり見て、自分に無関心なのか。
表面的な思考や欲求の話ではない。
裏側もしくは奥の方に押し込んできた、本当の自分を見ようとしていない。
現実をつくっているのは自分だとわかって、少し見通しがよくなっただけ。
行動も思考も変えることなく、ストーリーに反応していただけだと気づいた。
さらにこのグループの特徴、傾向をさまざまな例えを交えながら聞く。
メンバーの体験談を聞くと心がヒリっとするのは、同じような経験があるから。グループセッションの奥深さと醍醐味を知った。
そんな感じで今回も濃くて濃い3回目のセッションが終わった。
帰りにメンバーの子と井出さんおすすめのパスタ屋さんでランチを楽しみ、新緑の表参道を語り合って歩いた時間はさいこうだった。
そのあと一人になって、振り返りしながら電車で帰った。
ちなみに前回、2回目のセッションであがったテーマは「罪悪感」。
自分に向き合いはじめると、いろんなところで顔を出す罪悪感クンにここでも会った。
じつはこのときも、神宮前に向かう道中「最近いいかんじ。今日報告したいこと、ないわー。」と調子ぶっこいてたのに
内側を感じるワークして、みんなの話きいてるうちに心の底の裏側あたりから無数のこびりつきが剥がれ落ち、浮上し、気づけば「えっ!こんなに!!」という量のそれを両手ですくいとったままボケーっと帰りの電車に揺られていた。(というのを、3回目が終わってから思い出した)
そのとき「罪悪感は、別名:完璧主義だ」とmotokoさんは教えてくれた。
なるほど。
完璧主義を人間関係に持ち込むと大変にやっかいだ。
さらにその完璧主義は、
過去の経験をもとに作り上げた、自作自演の特注品ときた。
事象をそのまま切り取ったものではない。それなら主義になりえない。
主観と他者存在がめっちゃ効いてるから主義になるんだよな。
行ったり来たりの心の旅はまだはじまったばかり。
memo:
・自作自演の完璧主義
・自分への無関心🟰ナチュラルにやってる我慢
・周囲への過関心
・今に在る(過去は過去に置いてくる)