おいしいものをあなたと一緒に。
「おいしいね」を分け合える そんな人に出会ってしまった。
これは千早茜先生の『さんかく』という作品の帯に書かれていた一言です。最近本棚の整理をしていた時、改めてこの一言に強く惹かれたのは、「そんな人」と過ごす時間が恋しくなったからかもしれません。
物事ついた頃から美味しいものがすきでした。
さらに言えば、美味しいものを共有することがすきです。
「おいしい」を分け合えることの幸せは、私にとって大切な宝物。
今までいろんな人と分かち合ってきましたが、特に印象深い思い出が三つあります。
一つ目は高校生の頃の話です。
私は甘いものが大好きで、小さい頃からあんこやカスタードクリームだけをボウルいっぱいに作って食べたり、誕生日プレゼントとしてケーキ屋さんのショーケースに並んだケーキを「全種類一個ずつ」頼んでみたりと、自他共に認める甘党でした。
私が高校生の頃は、丁度コンビニスイーツがどんどん進化していった時期だったように思います。各コンビニのオリジナルスイーツが種類豊富に並ぶようになっていく様を見て、「食べ比べたい…」という思いが募っていきました。
シュークリームひとつをとっても、どんな違いがあるのかしら?ケーキは?プリンは?和菓子は?と、その気持ちは高まるばかり。
毎日一個ずつ試せばいいじゃないか、と思われるでしょうが、当時の私は何個も何個も机に並べて食べたかったんですね。そしてそんな馬鹿みたいな計画は一人だと財布にも胃袋にも限界があります。なので仲間が欲しくて、友人に持ちかけてみるのですが当然「無理無理」と却下されてばかり。
しかしいるもんですね、似たような人間というのは。何かの拍子にやってみたいんだよねーと漏らした瞬間、目を輝やかせて「それ、良い!やろう!」と言ってくれる存在が現れたのです。
高校生二人、財布を握りしめ、コンビニを三軒ハシゴし、並んでいるスイーツをカゴに入れていく様は今思い出しても快感です。友人の部屋でずっしりしたコンビニの袋から、一つずつ机に出して並べていく私たち。さらに、それを半分こずつ食べていき「おいしい!」と言い合いながら胃に納めていく私たち。それがもうなんと楽しかったことか。スイーツビュッフェなんて洒落たものに行く機会も無かった田舎の女子高生にとって、今思えばあれが人生初のスイーツビュッフェだったのかもしれません。
次に、「おいしい」を共有することに胸踊ったのは、とあるアルバイト先でのこと。知り合いから小さな居酒屋さんを紹介してもらったことがきっかけだったのですが、幸運なことにそのお店がめちゃくちゃ美味しい料理を出すお店だったのです。
店のご主人は「まずはうちの味を知ってくれないと」と、お客様に出す際に必ず味見をさせてくれました。この料理の味付けは濃い目なのか、さっぱりなのか、お酒は何が合うだろうか、と考えを巡らせながら味を覚えていくのですが、どれも美味しい。お客さんから「おすすめは?」と聞かれれば「そりゃあ全部ですよ!」と笑いをとりつつ、お客様の雰囲気や好みを考えておすすめをしていきます。
「おいしいもの」と一言で言っても、お客さん自身の好みや、その日の天気や体調、一人で食べるのか分け合って食べるのか、同じ一品でもより美味しく感じられるかどうかは様々な条件によって変わってきます。相手にとって一番「おいしい」瞬間を探すことがとても楽しかったんですね。もちろん考えすぎて失敗してしまったこともありますが、そこから学んでお客様と同じ気持ちになれたら「そうでしょう、そうでしょう!」と誇らしい気持ちになり、私は「おいしい」を共有できることの幸せに気付いたのでした。
最後に、さらにその気持ちを確かなものにした出来事があります。それは、とある先輩との出会いでした。当時学生寮で暮らしていた私は、6畳一間に二人、というプライベート皆無な空間で生活をしておりました。相部屋の先輩とは、学部も学年も違う中で、どういうわけか「おいしいものがすき」という気持ちで繋がっておりました。
実は私はそれまであまり人と食事に行くことは得意ではありませんでした。「私はこれ頼みたいけど値段高めだな…」とか「あんまり食べないタイプの人だから品目抑えた方が良いかな」とか「シェアしたいと言ったらあまり良い気がしないだろうか」などと色々考えてしまいがちだったからです。
外食の際は、「食事に行くのではなく、その人に会いに行くのだ」と思うことにしていました。本当に食べたいものは、一人でゆっくり行こう、と。しかし一人だと財布にも胃袋にも限界があります。おやおや、デジャブ。高校生の頃から変わっていません。そんな時に私は先輩と出会ったわけなんですが、残念なことに、きっかけが全く思い出せません。気付いた時には「おいしいものを食べる」を最優先に、食事に行ったり、料理を作ったり、お菓子やパンやお惣菜なんかを買って帰る生活が出来上がっていました。
実際に二人で食べる時間はもちろん、食べてみたいもの見つけた時、好きなものに出会った時、先輩に話そう!と思うことが楽しかったものです。逆に先輩が私の知らないおいしい話をしてくれる時間もまた嬉しいものでした。
高校の友人も、昔のアルバイト先も、ルームメイトの先輩も、今では離れてしまっています。当たり前に隣にあった頃とは違いますし、一人暮らしをすると、一人だと凝った料理も外食もあまり気が乗らないことも知りました。現在は特に、気軽に会いに行けない状況が続いています。そんな生活に慣れたはずなのに、時々ふと、誰かと「おいしいね」を分け合う瞬間が恋しくなるのです。
食べることを誰かと一緒に楽しめること。
一緒に食べることを楽しんでくれる人がいること。
それが自分にとってどれほど大切なことか。
改めて噛み締める最近なのでした。
おいしいを分け合えるってうれしい。