明日死んでもいい、は自分軸ではあり。
最近読んだ雑誌の記事で「明日死んでもいい、とは私はまだ思えない」と筆者が語っていた。
私は思った。
私は明日死んでもいいと思えるな、と。
何故そう思えるのだろう?と自分に問いかけたところ、答えはこうだった。
日々私は今日を思いっきり生きた、と思えているから。
少し前までの私はいろんな課題を先延ばしにしがちだった。
めんどくさがり屋で飽きっぽく、何かを始めても長続きしない性格。
どうせ始めてもすぐに止めるくらいなら始める意味はあるんだろうか、そんなことを考える間に時が経つ。結局やらない。
これが日常茶飯事だった。
しかしながら、結婚して子供が生まれてからは少しずつ変わっていった。
飽きてもいい、やめてもいい。
経験は力になるから決して0に戻ることはない。
それに、子供が私と同じように始める前からウダウダ考えてやらない子に育つのはなんとしても避けたい。
だからひとまず始めよう!
そう思えるようになってからは始めることが楽しみになった。
一瞬一瞬を大切にしようと思えるようになり、今できることは今やろうと思えるようになった。
子供のいる生活は思い通りにならないことが多々ある。
だからこそ、先延ばしにしたらできる保証なんてない。
今しかない!そう思うのだ。
だから私はやりたい事をやって、生きたいように生きている。
だから明日死んでも後悔はしない。
今日やれることはやった、と自負しているから。
しかしながら、それは私個人の人生においての話であって、
他者、とりわけ家族が関わってくると話は別だ。
妻としての私、母親としての私はとても欲張りだ。
夫とはまだ離れたくないと思っているし、
子供の成長だって見ていたい。
特に子供に関しては、幼いうちはせめて大人になるまでは、と思うし、大人になったら結婚するまで、孫の顔を見るまで・・・などと際限なく思い続けることだろう。
結局のところ、私はまだ死にたくはないのだと思う。
だから今日も生きるし、明日も生きる。
”もし明日死んでも”後悔しないように今日を存分に生きるのだ。
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