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自分軸で生きる!
日々色々な行動をして暮らしている中で、私は気がつくと自分を見失ってしまっていることが多い。研究室や恋人と過ごす中で起こす行動の動機が、いつの間にか全て「誰かのため」になっているのだ。「研究室のメンバーのため」、「研究室全体の環境のため」、あるいは「恋人のため」だと思って行動を起こすことが多くなっている。
一見すると、それはいい事のように思えるかもしれない。誰かのための行動は、常に美しいもののように思えるし、そう周りからも思われがちであると思う。
でも、そういう誰かのための行動は結局誰のためにもなっていないのかもしれないと最近思うのである。
「誰かのため」だと思って行動した時、私は無意識的にその行動に対する見返りを求めてしまうのだ。これだけ「いいこと」をしているのだから、もっと評価してもらいたい、気づいて欲しい、そういった想いがどうしても生まれてしまう。そしてその見返りがない時、相手や周りを責めたり、勝手にイライラしてしまう。
果たしてこれは、誰かためになっているのだろうか。ただ、周りと自分を追い込んでいるだけなのではないだろうか。
幼い頃から今までを通して、誰かのための行動はいい事だ、自己中は良くない、そういう概念が出来上がっていったように思う。また、周りからそう言われることも多かった。
でも、結局人は自分のためにしか生きられないのではないかと思う。どんな行動だって、自分にも何らかの見返りがないと出来ないと私は思うのだ。自分のために行動するからやる気が出るし、生き生きと取り組める。自分のためなら文句も出ないと思うし、向上心も生まれる。周りを気持ちよくするためには、まずは自分を楽しくさせるのが大切だと思う。
だからもう、自分軸で生きていいのだ。今研究室に行っているのは自分のスキルアップのためだし、辛くても自分のために卒業まで頑張る。研究室内の不都合は自分が困る時だけ正せばいい。関係ないところまで正してしまうと、不都合を起こした本人がそれに気が付かずに行動を改めないままになってしまうから、むしろ正さない方がいい時もある。本人が失敗しないと学べないことだってあるのだ。
ご機嫌に生きるために、常に自分を真ん中において考える。周りのために行動しているなと感じた時は、一旦立ち止って、きちんと自分を取り戻したい。