惨憺たる高校生時代、辻潤という彼岸へしがみついた。
高校時代を振り返ってみれば、わたしには友人らしい友人は一人もいなかったように思う。
当時人見知りは極端であり、集合の中での流行に馴染めぬゆえに、わたしは鴃舌であるかのようにみられていた。
辻潤を知ったのは高校三年生の時分であった。彼の「自分だけの世界」なるエッセイのある一句につよく惹きつけられたのである。
「手から口へ」の生活者。辻の生活が如何に窮乏で満ち満ちていたかを表現するのに、この一句よりほかに言葉は必要とされないであろう。そしてなにより、この「手から口へ」の生活者なる言葉が、今でもわたしの背中で尺八とヴァイオリンのいびつな結婚行進曲の音色となって嚠喨としている。
辻潤が生活者たるために翻訳をしたように。
収穫は生活者たるために映し出される苦患を幸福と転換して生きる以外に道はないと考えている次第なのである。
もっとも、向こう側がそうさせてくれるかだが。