もしも過去に1日だけ戻れるなら
みなさん、こんにちは。週末に1本投稿。はじめて、ギリギリでなく余裕をもってあげれそうです!(人生、どんな時も、なぜかギリギリを攻めてしまう私としては、画期的な快挙です!)
お時間許せば、おつきあいいただければ幸いです。
「もしも過去に1日だけ戻れるなら」
皆さんは、いつに戻りたいですか?
私が戻りたいのは、現時点では、2021年8月29日の夜です。未来では、戻りたい日は変わるかもしません。
主人が亡くなる前夜に戻りたいんです。
あの日、いつものパパとは明らかに違ったのに・・・・・・・・・・・
それでも、あと2.3日。ううん、パパのことだから1週間2週間・・・・
なぜかそう思ってしまった。
ううん、そう思いたかったんです、きっと。そっちの未来の方の青写真が頭にあって、冷静に頭を働かせれば分かることを、多分、心がブロックしてた。
私の仕事は医療秘書とはいえ、日々、たくさんの患者さんのカルテの細かい部分まで読み込んで書類を作成する仕事も多くて、終末期の患者さんのカルテは、私の場合、おそらく普通の医療秘書よりも、ものすごい集中力をもって読み込んでしまいます。最後の日のお1人お1人の物語も、たくさん読んだことがありました。
頭ではいろんなことがわかっていたはずなのに、嫌な予感がする要素もたくさんあったのに。今なら、「なんで私・・・」って思うのに。
あの日、私は、それが最後の日の夜だとは、思えていなかった。
あんなに、今日が最後と思って悔いのないようにないようにって生きてきたのに。
それでも、嫌な予感があったから、最後に一緒にいた数時間を思い出すと、たくさん、ああしていて良かったと思うことも多いんです。
あの日あんなやりとりができて良かったと心から思える瞬間や、私だけが知っている彼からの最後の贈り物のような言葉もあって、最後の最後まで私は彼にしあわせにしてもらったと思える日でした。
それでも・・・・・・・あの日が2人の最後の夜になると分かっていたら・・・・ 私は、絶対パパを抱きしめたまま、離れなかった。
ぎゅって抱きしめたまま絶対離れなかったのに。
パパに、一緒にいた33年の中で、かたっぱしから思いつくことを話しながら「あの時はありがとうね、この時もありがとうね」ってお話してたのに。
「わかってるわかってる。息子ちんに会いたいんでしょう?!言っとくね~」と、無駄に明るく言う私に、パパは、うんうんうんって、大きくうなずいて、「じゃあ、またね」ってバイバイした夜。
この前に戻りたい。バイバイしようとしたけど、「うーん、やっぱり、今日はパパと一緒に寝ようかな~。着替えもってくるね。」って私に言わせたい。
この前までは、私は私なりに、パパはパパなりに、最後の日としてしあわせだった、すごく。それでも、やっぱり、戻りたいと思ってしまう。
そう思うと、やっぱり、涙が溢れる。
でも、その、胸の痛みや涙が、私の場合は1分も続かずに、やっぱり、すっと消える。
それはやっぱりパパの力。
15歳の頃からパパは、私にぞっこんで(笑)。
私がふってもふっても、あきらめないパパで。(笑)
高校、大学、社会人・・・・・
ずっと、一緒に成長してきたということもあって、人生のいろんな場面で本当にいろんな風にパパは私を支えてきてくれました。
パパが病気になったから、私は、心臓から毛が生えたかのように強くなれたけれど、でも、その前は、本当に全てのことにおいて、パパにおんぶにだっこだった。
例えば、人生のとても大切な瞬間に、私が自分をひどく責めてしまったり、立ち直れないと思うほど後悔している時なら・・・・
パパなら、100% 私の頭をポンポンして、
「大丈夫大丈夫 ♪ もう、なーんも考えなさんな。なーんも。大丈夫だから・・・・」
こう言ってくれたはず。
私が、もし、パパに、「パパ、ごめんね、ずっと最後抱きしめていたかったよ・・・・」って言ったとしたら、
多分、「なーん、言いよると。大丈夫大丈夫、最後の夜、頭だっこしてずっとおでこくっつけてくれてたやん。俺だって、最後の気力を振り絞って、みゆからお水飲ませてもらって、特別な言葉を伝えたやろ、いいといいと・・・・」多分、100%、こんな風に言ってくれる。
私が戻りたい夜の翌朝の5時ごろ、実家から主人の様子がおかしいと電話があり、息子と着の身着のままかけつけたとき、パパは目を見開いて、懇親の力を込めて、私達を待っていてくれたようでした。
意識はないように思えたけれど、耳は最後まで聞こえる(これは、心筋梗塞で生死をさまよった父から聞いていて。心臓が止まっても、父は、全部先生達の声が聞こえてたそうです。「心配停止~!」って叫び声からの会話も。実はあまり聞きたくなかったことも聞こえたようです。)
パパの部屋に入るなり、「ああ、もうダメだ」と瞬間的に思って、一瞬息を呑みそうになったけれど、
息子に、「最後まで耳は聞こえてるから!!大きな声で何か言って!」と叫ぶ私に、息子は、懇親の力を込めて、「ありがとおおおおおおおお!」と大声で叫び、私は、パパの耳にぴったり口を近づけて、「パパ、大丈夫だからね。ずっとずっと一緒だからね。大丈夫だからね」と叫んでいました。
前もって考えてた言葉ではありませんでした。
でも、これが、私の本心だったんでしょうね。
その時に、息子が一瞬パパが、うんって頷いた気がしたと。
私は耳に口をつけている状態だったから、それを見てないんですが。
まだ、指につけた心電図はぐちゃぐちゃに動いていたから、聞こえていたのかな。
それでも、もしも、1日だけ戻れるなら・・・・
今日の私は、やっぱり、8月29日の夜を選ぶ。
明日は、また違う日を選ぶかもだけれど。
お葬式が終わった日の夜だったでしょうか・・・・・・・・・・・・・・・
パパの祭壇の前で、ぼおーーーっとしてしまって、「ああ、ああしとけば良かった、こうしとけば良かった・・・・」といろいろ言ってしまった私に、息子が驚いたように言いました。
「あーんなにいろいろしてた、かかでさえ、そんな風に思うんやねえ。それなら、もう、誰でも後悔するってことやね!」と。
多分、息子もいろいろ後悔があったのかも。
でも、お葬式の夜、私は、その言葉に、ものすごく救われて。
そっか、もう、こういう時は誰でも後悔するのか~!と。
この時も、私の、ぎゅっと痛む胸の痛みは、長く続くことなく、すーーっととけました。まるで、生前のパパがいつもそうしてくれていたかのように。
そして、それから1年がたとうとしてるけれど、なかなかどうして、いつもいつも息子ちんが、「へ?」って思うような会話で、私をすーーーって楽にしてくれることの連続で・・・・・。さすが、パパの子です。
あの日に戻りたいけれど・・・・・・・・・・・・・・
でも、私には、この2人がいるから、やっぱり、胸の痛みは今日も、すーーっと溶けていきます。
かかのしあわせは、パパと息子ちん、今もなお、二人がやっぱり支えてくれてるね。
先日読んだ本に、「その後悔こそが美しい。それこそ僕が生きた証だ」という言葉がありました。 心が、すーーっと軽くなる言葉でした。