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好きって言いなよ

毎回タイトルに合うイラストを選ぶのが楽しくなっちゃって、今回も「可愛い〜」なんて言いながらあれこれ選んでたら記事アップが遅くなりました。

好きって言えない

好きなものを好きって言える気持ちを呼び覚ましたいと、以前noteに書いた。

このnoteをきっかけに、自分自身の好きと向き合う機会が増えた。そして、好きなものを好きと言うこと対して凄まじい抵抗感があることに気づいた。

好きって言いたいのに、喉がつかえて言えない。

どっちかというと好きだけど、そこまでの好きじゃないし。
好きって言ってしまったら後に引けないし。
誰かと比べられたりとかするのも怖いし。
ぶっちゃけ見てるだけでもいいし。
てか別に人に言う必要もないし。

なんだよこれ、まるで少女の恋煩い。

「好き」の合格基準

息子(7歳)は魚が好きだ。図鑑を読んで、絵を描いて、YouTubeでさかなクンチャンネルを観て、1日中魚のことを考えている。

けれど、彼はまだ海で泳いだことも、魚を釣ったこともない。私が彼の立場なら「私ごときが魚好きを公言するなんて恐れ多い…」と思ってしまう。当然ながら、彼はそんなことは微塵も感じていない。

「タロウ(仮名)くんち、◆◆って魚を飼ってるんだって!」
ある日学校から帰ってくるなり息子が言った。ついに気づいてしまったか。どうか彼の「好き」の火が消えませんように…とドキドキしていたら、
「すごいよねえ!どんな魚か図鑑で見てみる!」と図鑑に向かって一目散。彼の魚好きの気持ちは揺らぐどころか、さらに燃え上がっていた。

本来「好き」なんてものは人と比べるものじゃない。「好き」の合格基準もない。ちょっと好きでも、かなり好きでも、好きは好き。

錆びた感情

子供の「好き」は全力で応援するのに、自分のこととなると途端ブレーキがかかるんだよねという話をしていたら、友人から「産後は感情が錆びるらしいよ」と教えてもらった。
「感情が錆びる」ってすごいパワーワード。
でもその表現が至極しっくりきた。

感情も、動かしていないと鈍くなる。私の場合は「好き」という感情が錆びついてしまったがために、自分の好きがなんなのか、そもそもこれ好きって言っていいのか、なんてことを悶々と考えてしまうようになったのだ。

もし錆びているのだとしたら、リハビリが必要。好きなものを「好き」と声に出していこう。そう思い立ったものの、でも他の誰かに対して言うのは勇気がないから、まずは家庭内でリハビリすることにした。

「好き」は広がる

私は音楽を聴いたり歌ったりするのが好きだ。よく家で鼻歌を歌っている。
「ママって歌うの好きだよね。」
「うん、そうだね。歌うの好きだね。」
息子に促されるように「好き」を言葉で発するリハビリを始めた。すると最近、息子も「僕も歌うの好きだよ」と言うようになった。これが世に言う「親の影響」ってやつか。思い起こせば私の両親とも音楽を聴くのが好きで、その環境で育ったおかげで音楽が好きになった。

もちろん全く興味を示されないケースもあるけれど、こうやって言葉に出すことで、自分の「好き」が他の誰かの「好き」に繋がることがあるんだと感慨深く感じた。

同じものが好きという仲間に出会えたり、その仲間から新たな好きの種をもらえたり。言葉にして発することで、好きはどんどん広がっていく。

駐妻の世界は「好き」を謳歌する人たちで溢れている。ジム、料理、美容、カフェ巡りなどなど…。なんだか眩しく感じて圧倒されてしまうこともあるのだけれど、勇気を出して自分の「好き」を少しずつでいいから声に出して、世界を広げて行けたら良いなと思っている。

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