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「本当の私」を生きる31日間プログラム Day:18 「自分への信頼度」
早いものでこのプログラムも18日目。
(先週もこの言葉を書いた。そのときよりも更に継続している日々が増えた。日々積み重ねていくということはすごいことだ!)
さて、今日のテーマ。
朝、Yumiちゃんのnote記事を読んで考え込み、夜まで書けなかった。
少し考えただけでも、わたしはわたしのことを「信じていない」気がしたからだ。
それを認めることも、ここに書くことも勇気がいることだった。
Day:18 「自分への信頼度」
①あなたはご自身のことをどれくらい信じて(信頼して)いますか?
②あなたが自分自身を信じられない場合、信じられなくなった原因には何があると思いますか?
③自分を信頼するためには何が必要だと感じていますか?
①あなたはご自身のことをどれくらい信じて(信頼して)いますか?
信じていない…
ある部分では信じている部分もある。
例えば、自分に特有の力や、自分のちょっとした感覚(違和感の感度とか)。
「この感覚は、いい感じ」とか「これはちょっと気をつけた方がいいところだ」とか。
でもこうやって改めて問われると
「自分を信じていないのでは…」となる。
そして「信じていない」ということが、とても悪いことのような気がして、恥ずかしいことのような気がして、この一文を書くのに躊躇いがあった。
そもそもわたしは、2年ほど前にこんな記事を書いていたくらいなのだ。
Yumiちゃんが同じくDay:18の記事にて書いていた言葉。
自分を肯定できない→自分を信じることができない
そうなのだ。
わたしはわたしであることを、全ての部分でOKとしていないのだ。
OKだと思う部分もあるけれど、それはダメだと思っている部分もある。
そして全てOKとしてないことを、ダメだと思っている。
そうなれない自分をダメだと思っているから、酷いことに「OKを出している人」を見て、羨ましいと同時に「そんな都合のいいことあるの?」と穿った見方をしているのだ。
おおー…
書いていて自分が嫌になる。
こんな機会でもなければ、ここに目は向けなかったな。
②あなたが自分自身を信じられない場合、信じられなくなった原因には何があると思いますか?
なんだろう…
信じていたけれど、思ったようにいかなかったこと。
わたしの想いを否定された(と感じた)こと。
やりたいと思ったことを成し遂げられなったこと。
かな。
しかし今考えたら、
信じていたつもりでも、本当の本当のところでは「うまくいかない」という意識があったし、
否定されたと感じて先に進めなかったけれど、受け取ってもらえるまでの努力をしなかったのはわたしだ。
さらには、やりたいと思っていたらどんな反対があってもやるべきだったのかもしれない(本当にやりたいことは何があっても諦めてはいけない、という信念もあるな)。
つまり、自分で自分のことを決めつけていたし、もっというなら可能性も狭めていたのかもしれない。
だけど、今回「①あなたはご自身のことをどれくらい信じて(信頼して)いますか?」という問いで、
ある部分では「信じている」部分があることを知ったのだ。
全体的に「信じられていない」と思っていたから、0%に近いのかもと書く前は思っていたけれど、実は部分部分で信じている部分があった。
しかもその「信じている(信頼している)部分」は、わたしにとってかけがえのない部分でもある。
わたしが大切にしたい能力や才能については、信じている。
これはとても嬉しく、わたしの源から溢れ出る大切なものだと感じている。
③自分を信頼するためには何が必要だと感じていますか?
こうやって、改めて書いたり話したりすること(自分の頭の外に、自分の中にある考えや想いを出すこと)。
そして、それを自分で受けとめたり、受けとめ合える場でそのまま素直に出すこと。
たまにこうやって振り返ること。
そこで変化したと思うことを、自分で確認すること。
こうやって書き残すことで変化もわかりやすいし、少し俯瞰して自分を見ることもできる。
いつもは他の人にしているフィードバックを自分にすることもできる。
* * *
書く前には、「うわ~、目を向けたくない」と感じたテーマだったけれど、実は信じている部分があったり、信じている部分はわたしがとても大切にしているところだと確認できたり、新たな発見があった。
一旦自分の外に出す、という効果のすごさを実感している。
* * *
こちらは一緒にプログラムを進めているEmikoさんのマガジン。
Day16「ホッとする瞬間」の記事では、こんなことを書かれていた。
つまり、100人居れば100通りの「ホッとできる瞬間」があるということです。そして、それは自分の感覚を頼りに、自分で見つけていかなくてはいけない・・・ということです。
本当にその通りだな、と思いながら読んだ。
この「自分の感覚」についても、以前より磨かれてきて「この場合の自分の感覚は頼りになる」という部分が増えてきている。
それが今日のわたしの記事ともリンクして、面白いなーと思ったのだ。
こうやって仲間がいると気づきが加速したり、よりくっきり立体的になる。
それがとてもありがたい。