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「本当の私を生きる」31日間プログラム Day:12 「嫉妬」
今回のテーマを読んだときに
「書きにくい」と思うと同時に「どれだけでも出てくるだろう」と思った。
わたしにとって「嫉妬」は、とても身近な感情だ。
わたしの7割は嫉妬でできているかもしれない。
ずっと昔から付き合ってきた、馴染みある感情だ。
今日も朝からさっそくその感情がやってきていた。
「あぁ、まただね」とモヤっとしながら隣にいることを感じる。
いつもだったら、そこにいるのにいないことにして、存在を無視して過ごすのだが、今日はちょっと向き合ってみる。
そんな機会をYumiちゃんのこの「「本当の私を生きる」31日間プログラムプログラム」からもらった。
Day:12 「嫉妬」
① あなたはどんなこと・人に嫉妬しますか?羨ましいなと思いますか?
② 嫉妬を感じると、どんな気持ちになりますか?色や形などで例えてみましょう。
③ もし今嫉妬を感じているというのなら、その感情をちょっとだけ感じてみましょう。(特に今感じていない場合はスルーでOK!)
④ 「嫉妬」の奥にある、あなたの望みはなんでしょうか? (過去嫉妬したことから感じる自分の望みでもOK)
① あなたはどんなこと・人に嫉妬しますか?羨ましいなと思いますか?
わたしの中にある「やってみたい」「それができたらいいな」を実際に形にしている人。
よく考えたら、「人」にしか嫉妬しないかもしれない…
今朝嫉妬したのは、どんどんと活動の幅を広げている友人に対して。
これまでに嫉妬したのは、それはもう山ほどあるけれど「わたしがなりたいと思う姿に対して易々と成し遂げている人」が多かった。
もの、こと、については、人が介していることに対しては、その「人」に嫉妬の感情を持つけれど、もの自体、こと自体に嫉妬することはない。
もう全然違う存在であるものに対しては、嫉妬の感情はない(花や草。そして本そのものには嫉妬しない。それを素敵に切り取った写真家や、素敵に表現した作家には嫉妬する可能性はあるけれど)。
② 嫉妬を感じると、どんな気持ちになりますか?色や形などで例えてみましょう。
モヤーっと、モワーっとする。
しかし、色に例えるとその時々で異なる。
赤だったり、ピンクだったり、黄色だったり。
わたし自身の感情を反映しているというより、きっとその対象となる人が、それをすることで放つ色を見ているのだと思う。
その点で、わたしは自身のこの「色で物事を捉える」力を誇ってもいいと、今感じた。
「色」で捉えるならば、嫉妬の感情に巻き込まれないのか!!!!
新発見だ。
(ただし、感情そのものを感じると渦に巻き込まれてしまうな)
③ もし今嫉妬を感じているというのなら、その感情をちょっとだけ感じてみましょう。(特に今感じていない場合はスルーでOK!)
嫌なのだ。
わたしがしたいことを軽々とやっている(ように見える)人が嫌なのだ。
羨ましいのだ。形にしていることが。
わたしにできないことを、やっていることが。
それを「できた!」と高らかに宣言しているのが嫌なのだ。
そして一番は、嫉妬している自分が何よりも嫌なのだ。
だって、それはわたしができたことかもしれないから。
諦めなかったらできたことかもしれないから。
諦めた自分が情けなくて嫌になる。
そう、わたしは「自分にも可能性があること」について、やり遂げた人を見ると嫉妬するのだ。
全く興味がないことや、そもそも無理だと感じていることについては、嫉妬さえしない。
ただ「すごいですね!」と思う。
例えば、わたしはパイロットには憧れていない。
ただ「そこまでの勉強や技術、経験を持って飛行機を操縦できるなんてすごいですね。そしてあなたがいるから飛行機で移動できます。ありがとうございます」と思っておしまいだ。
しかし、少しでも自分に可能性があることについては、それをしている人を見ると嫉妬する。
ということは、嫉妬する対象の中にわたしは「自らの可能性がある」と感じているのだ。
どんなに難しそうで、無理だと表層で感じていたとしても、「嫉妬」の針が少しでも動いたならば、そこにわたしは「自分にもできる可能性がある」と感じているのだ。
④ 「嫉妬」の奥にある、あなたの望みはなんでしょうか? (過去嫉妬したことから感じる自分の望みでもOK)
・書く人として、素敵な文章を書きたい。
・あなたに記事を書いてほしいと言われたい。
・わたしの想いを綴った本を作ってみたい。
・自分の力でお金を稼いでみたい。
・心からホッとできる家に住みたい。
・「生きている」と感じる瞬間を積み重ねたい。
・あなたがいてくれてよかったと思われたい。
こんなことをここに書くこと自体、恥ずかしくて堪らない。
特にわたしをリアルで知っている人には読まれたくない(けれど何人かには読まれるであろう。そこは腹を括った(笑))。
そんなこと考えていたなんて、と思われたくない。
心の奥にあった望みを出して「えー、あなたなんかには無理なのに」と思われるのが嫌だ。
そうだ、嫉妬の中にあるのは「本当の自分を出して、あなたはそんなの無理なのにね」と言われるのが怖くて嫌だという気持ちだったのかもしれない。
誰かに「無理なのに」と言われるのが怖くて、先に自分で「でもわたしが一番無理だと知っているのだ」と予防線を張っていた。
でも本当は「無理だと思いたくない」自分が、もっと奥にいた。
応援したかったのだ、自分のことを。
出しても恥ずかしくない自分だけを、吟味して外に出して生きてきたのかもしれない。
* * *
わたしは傷つかないように、自分の可能性や力を否定して、結果的に「自己否定」+「嫉妬」+「力を出し切れてないもどかしさ」で余計にしんどくなっていたのかもしれない。
そんなとき、絶妙なタイミングでお手紙をもらった。
それについては、こちらで書いてみた。
* * *
「嫉妬」という感情は、わたしにとって「行きたい方向を知らせてくれる」方位磁石なのかもしれない。
「あぁ、まただね」とこれまでのような付き合いではなくて、「教えてくれてありがとう、こうした気持ちがあるから一緒に話聴いてくれる?」と問いかけてみるのもいいのかもしれないな。