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「本当の私を生きる31日間プログラム」Day5

スタートして早くも5日目。

一緒にこのプログラムを進めているYumiちゃんEmikoさんの記事も楽しく拝見しながら、そこから新たな自分を発見できたりして、面白い。

さて、本日の質問はこちら。

Day5:自分の「好き」「嫌い」を受け入れる

①あなたが「好きだな」と思うことや人は何でしょうか・誰でしょうか?
②あなたが「嫌い」と思うこと・人は何でしょうか・誰でしょうか?
③あなたの中にある「好き」も「嫌い」もまるっとそのまんま受け入れてあげてください。


①あなたが「好きだな」と思うことや人は何でしょうか・誰でしょうか?

・樹々や草花を身近に感じられる環境
・心のことやその他興味がある分野で新たな発見をすること
・本を熱中して読む時間
・草取りを気軽にできる環境
・楽しく生きている人
・自分のことも相手のことも尊重している人
・さりげなく気遣いできている人
・さっぱりしている人
・自然への感性が高い人
・わからなかったことを知ること
・きれいな文章、きれいな字をみること
・詩を綴ること、言葉を綴ること

自分と似た感性の人を好きだと思うけれど、自分にない部分を素敵に発揮している人も好きだと思っていることがわかる。
でも自分にできないことを難なく発揮している人を羨ましいと感じ、それに比べて…と落ち込むところもある。
どちらも「わたしにはない部分を発揮している」なのだけど、わたしが受け取るこの違いはなんなのだろう?と疑問に感じた今(保留にしておこう(笑))。

あとは、わたしの「好きなこと」は一人でできることが多いというのも、改めてわかった。やろうと思ったらいつだってできるのか!


②あなたが「嫌い」と思うこと・人は何でしょうか・誰でしょうか?

・不安を煽ること、言葉
・窮屈で、好きなようにできないこと
・自由がないこと
・そこにいない人のことを悪く言う人
・ネガティブなことを発する人
・「あなたのために言う」と言っているけれど、実は違う人
・人の気持ちを慮れない人
・決めつけてかかってくる人
・人の話をきかない人

他にもいろいろありそう…(笑)
わたしは決めつけられるのが嫌で、自由がないのが嫌なようだ。
嫌なことって感じた瞬間に「嫌だ」と思うのに、それが続くのが嫌でなんとなく蓋をして少し離れたところに置いてみて。でもやっぱり気になるしすっきりしないからまたちょっと蓋開けて…というようなことを繰り返していたかも。


③あなたの中にある「好き」も「嫌い」もまるっとそのまんま受け入れてあげてください。

②の振り返りでも書いたけれど、嫌なことは「嫌だ」って感じることが苦痛だからまっすぐ見ることをせずに、でも気になるからたまに取り出して見たりしていた。
これじゃまるで大切な宝物を扱っているかのよう… と唖然(笑)。

とは言え、ここ数年はそのまま受け入れるということを意識しているので、少しずつ「嫌なこと」を「嫌なまま」取っておくことが減ってきたかもしれない。そうすると腐る前に処分できていっている感じがする。

「嫌い」というラベルを貼ったのがわたしならば、それ以外のラベルを貼ることも自分でできるかもしれない。
例えば、この人のここが嫌だ!となった際に、「嫌だと思ったんだなー」と受け入れてみたら、次には違う視点でその人を見ることができるかもしれない。そういう余裕があると安心できる。

以前、他人の悪いところを話してきて「ね?そう思うよね?」と同意を求められるという人に何人か出会った。
わたしはその人に嫌われたくないため「うーん、そういうとこもあるのかな」などどふわふわと答え、同意と受け取ったその人たちにまた話をされる、そして嫌な気持ちになり自分を責める、ということを何回かやらかしていた(過去のnoteにもそんなことを書いている)。

「そんな話を聞くのが嫌」
「わたしはそんな風に思っていないと言えない自分が嫌」
”嫌”をちゃんと表現できなかったわたしは、そこから派生する様々な”嫌”を抱え、”ちゃんと対応できない自分が嫌”と自分を責めて疲弊していった。

「好き」も「嫌い」も単なる感情・感覚だと捉えるのであれば、わたしは好きも嫌いも同じように「そう思ったんだね」と自分に、そして相手に「こう思う」と伝えれば良かっただけなのかもしれない。

気づいたら「受けとめてみる」。
これをやっていこう、と改めて思った。


今日もこうやって文字にして振り返ることで、気持ちが整理できた。

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