誕生日プレゼントは、桜餅とお抹茶と桜茶の「特別なおやつ」
近所の桜の木が華やかさを増してきた。桜って美しくて華やかなのに、どこか儚さを感じさせるから、不思議。桜に人の一生を重ね合わせてしまうのは、私だけではないだろう。
母方の祖父母は、私にとって親代わりの存在でもあった。実家のすぐ近くに住んでいたこともあり、私は毎日のように祖父母と過ごした。祖父母はいつも大歓迎で私を迎えてくれ、その居心地のよさを今も鮮明に思い出せる。
桜がちらほら咲き始めるころ、「今週は特別な1週間だ!」と祖母は言い、「特別なおやつ」を用意してくれた。それが、桜餅とお薄だ。
私は関西で生まれ育ったので、道明寺餅(もち米を蒸して乾燥させてから、粗挽きにしたもの)が私にとっての桜餅。なんでも手作りする祖母は、桜餅の材料を中央市場に買いに行き、わざわざ手作りしてくれた。
蒸し器にさらし布を敷き、丸めた道明寺粉をのせて、蒸す。蒸している間に、祖母が前日作ってくれた餡子を丸める。蒸しあがった道明寺を手の平の上で伸ばし、餡子を包む。私は祖母に教わりながら、道明寺が熱い!と騒ぎつつ、一連の作業を手伝った。
そのあと、私が塩抜きした桜の葉に桜餅を包む間、祖母は桜の柄が入った茶碗と茶筅を用意し、このときのために購入したというお抹茶で、お薄を立ててくれた。
「あなたは子供だから、お薄。私はおばあさんだから、濃茶!」と、祖母は言い、シャカシャカと手際よくお抹茶を泡立てた。
出来上がった桜餅と、桜の柄が入った茶碗で、正座をしていただく、この「期間限定:特別なおやつ」だけど、子供の私には、お抹茶はただただ苦く、桜餅は匂いがやや苦手で・・・・・・好きとは言えなかったのだけど、幼いなりに風光明媚さを感じていたように思う。
「特別なおやつ」のメニューは、最終日だけ変わった。祖母が「特別の特別!」と用意してくれたのは、とらやの羊羹と桜茶だった。
塩漬けした八重桜の花にお湯をそそいだ桜茶は、知り合いのお茶屋さんで分けてもらっていたそうだ。塩漬け桜にお湯をそそぐと、少しずつ桜の花が広がるのだけど、幼い私にはそれがとても不思議だった。
とらやの羊羹を一口食べて、桜茶をいただくと、甘みのあとに絶妙の塩味と桜の香りがふわっと匂いたち、それはもう得も言われぬおいしさ・・・・・・と、今だったら感じただろう。しかし、幼い私には、その良さがわからなかった。私は餡子よりもチョコレートを好むタイプだったので、連日の餡子が実はつらかった。本当にもったいない。残念。
祖母が「特別な1週間」を設け、「特別なおやつ」を幼い私に振る舞ってくれたのは、ワケがある。私の誕生日があったからだ。
「うちは貧乏だから、おもちゃを買ってあげられないから」と、この「特別な1週間」と「特別なおやつ」が誕生日プレゼントだったのだ。このプレゼントは小学校に入る前まで続いたように思う。
このあと、いろいろあって、祖母はあっけなく別の世界に旅立ってしまったのだが、その去り際にどこか儚さを感じたものだ。
しかし、私の記憶の中には、祖母の声や笑顔とともに、この「特別な1週間」と「特別なおやつ」の鮮明な記憶が残っている。
おばあちゃん、ありがとう。再会したら、また一緒に道明寺の桜餅とお抹茶を作って食べようね。私も大人になって、餡子や桜餅、桜茶の美味しさを知ったから、今度は心から「美味しい!」と感激して味わえる。
その時は、私も濃茶でいただくね。