時は2080年。私は家の窓から差し込む斜陽にゆっくりと視線を移して、目を細めた。静かな室内に落ちる微かな機械音に耳を澄ませる。遠いあの日、私は社会の在り方を決定的に変えてしまったんだ。ぎゅっと目をつぶり、深く念じた。これからの社会がよりよくなっていくことを、ただひたすらに。耳にかけていた白髪の長い髪がバラバラと崩れ、視界に入ってくる。私は震える手でその白髪を掻き揚げる。 「さて、と。」 重い腰を上げていつもの定位置についた。部屋の隅で自然光を受けて光る無機質なヘルメット状
これまでの数年間は、私の中で沢山の、それはもうとてつもなく沢山のアルバムやノート、付箋に書かれた唯一無二の誰かからの言葉に涙して、感傷に浸りながらただそこに座っていて時間の経過に、波打つような秒針の轟きに耳を澄ませながら、1人で部屋の中で黙っていたような期間だったと思う。 歩き始めるには、まだ早いと密かに強く私は思っていた。それは動的な身体性に基づく何かでは全くなくて、そういったものから酷くかけ離れた意識である。 私だけが知っている、私だけの視座や感じ方というのは確かに存
タイトル|追憶。 「誰かによって傷つけられる、なんてことは本来的にはないんじゃないかな。自分を傷つけられるのは自分だけだよ。」 同居人、酒井塔子がそう言って私に笑いかけたのは、ある晴れた日の午後のこと。当時の私は途方に暮れていた。私が選んだ選択を肯定してくれる究極目的が存在しない限り、その認めがたい事実を受け入れることは到底不可能に思われた。事の発端は「恋」だった。それは疑いをかけたら一瞬にして溶けてしまうような、脆さを孕んでいる。既に人生がままならないことを知っている。
新年から沢山のことが世の中としても、個人の範疇としても抱えきれないものがありすぎて、苦しくて、でもそれをしょうもないと片付けて見えないふりをしている自分を大いにいて、結局襲われるのは「当たり前」にずっと執着していたい、未来を見つめない怠惰な自分だ。 ずっと、今まで目を逸らしてきたとか、見えないふりをしてきたとか、そんな言葉で自分を観察してきたところがあるが、そんなことも実際なかっただろうと思う。 これまで自分の出来る範囲で挑戦はしてきたし、本来であれば背負う必要のない意味
「真面目」「不器用」「活発」 私を表す「ことば」はいつも画一的かつ表層的だ。 枠に押し込められたようにそれらは窮屈に交錯し白いキャンバスを黒く塗りつぶしてしまう。余白さえ残さず。とどのつまり、私を知る人は究極的に私を知り得ることはないのだろうと諦めていた。 この言葉を聞き届けるまでは。 彼の放つ相反する言葉の連なりに私という不確かな存在は確かにそこに生きていた。 有象無象の移り行く時の流れに木の葉がざわめき、新緑の中を黒雲が駆け巡り、雨ばかり降り続く梅雨の日に貫くよう
どこに投げたら救われる思いなのか、いや救ってもらいたくもない思いなのかさえ分からないから、そのままに等身大の私を綴ろうと思った。 昨年の5月に祖母が死んでから、私の人生は大きく変化した。死に直面することがこんなにも大きな変化を生むなんて思いもしなかった。 一年経過した。 早かったようで、長かったと思う。 圧倒的に座学での勉強量は減って、体感するような学びが多くなった。 もっと自由に時間を区分して生活するようになった。 その中で、閉じたくなるような過去もあったし、開
あの人の言葉の1つ1つが私を揺るがした。 あの場所に住んでいたとき、私はもっと自由だった。しっかり自己を確立できていた。人の目を気にして歩くことを知らなかった。あの日から、一瞬、一瞬、過ぎていくごとに私は焦る。まだ何者にも、何事も結果として、形として、表すことが出来ていない。あの人は、そのままでいいというけれど、その言葉は私にとっては、酷いほどにもどかしくて、悲しくて、辛いことだったりして。少しでも、その人と出会った頃の自分よりも距離を置きたいのに、私はずっと立ち止まって、