美しき日本を建国した天皇
今日も僕のnoteを見ていただきありがとうございます✨
今回、奈良県出身の僕としては絶対に描きたい記事でございます
そう!この大和の地で日本という国を建国した神武天皇のお話でございます
神武天皇は宮崎で生まれた後に、奈良まで来て日本国を建国するのですが
それまでに壮大なエピソードがあったのです
是非最後までお読みいただきたいと思います
今回の記事の内容は、僕が読んだ本!国史啓蒙家、小名木善行先生の書籍「美しき日本人たち」で記載されてる事を引用した内容を含んでおります。
今からおよそ2700年前...
天照大神(アマテラスオオミカミ)の曾孫が瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)
さらにその孫が九州の宮崎で暮らしていました
その名を、神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレヒコ)と言います。
ある日、塩筒老翁(シオツチノオキナ)という情報通のおじいさんに、こう言われます
「実は畿内に那賀須泥毘古(ナガスネヒコ)という人がいるのですが、
この方もあなたと同じようにアマテラスオオミカミ様の霊を受け継いでいる邇芸速日命(ニギハヤヒノミコト)を支持しています。
ところがその人は、自分が偉いことが大事だとばかり、一般庶民から収奪を繰り返し、
畿内の人々は今は、食べるものがなくて大変なことになっているのです」
コレを聞いたイワレヒコは3人の兄達に相談しました
「このような話を聞きました。一度畿内に行ってみようと思うのですが、お兄さん方はどう思われますか?」
兄達は賛成してくれて、一緒に畿内に向けて旅立つことになりました。
途中、大分の宇佐では出発を祝って歓送会を開いてくれました
その後、福岡に1年、広島に7年、岡山で8年を過ごし
各地域に稲作を教えて、皆どの地域も豊かになっていたのです
凄いですよね❓見ず知らずの地で、見ず知らずの者たちに豊かになる稲作を何年もかけて教えてたなんて!
どれだけ国民を大事にしていた事でしょか!
そして各地域で稲作を教え、やっとの思いで辿り着いた大和の地
待ち構えていたナガスネヒコは兵を連れていきなりイワレヒコに矢を射かけてきました
でもイワレヒコハは応戦する事なく盾で矢を避けるだけ
ナガスネヒコはかなり血の気が多いんだと思います(・・;)
その日はイワレヒコは応戦する事なく、乗ってきた船で、その場を離れます
このナガスネヒコの矢の攻撃によって兄の五瀬命(イツセノミコト)は矢傷がもとでお亡くなりになってしまわれました。
どおしてよいかわからず、船で紀伊半島を回って熊野灘にさしかかったころ、突然の嵐が船を襲うのです‼️
ナガスネヒコの応戦に、逃げるようにして熊野にたどり着こうかという時に急に嵐がやってくるのです‼
この嵐を止ませるために、イワレヒコの二人の兄は自分たちの命を生贄にすれば嵐が止む
そう思った二人は海に身を投げ入れたのです‼
こうして、一緒に行動を共にしてきたイワレヒコの兄達はみんな亡くなってしまったのです…
どのお兄さん達も偉大ですね…
ようやく陸にたどり着いたイワレヒコのもとに高倉下(タカクラクジ)という人が剣をイワレヒコに授けました
この剣はアマテラスオオミカミがイワレヒコに与えた剣でだというのです
イワレヒコは思いました。
「剣を授かるという事は、ご神意は戦えというう事ですな!」
ご神託通りに八咫烏(ヤタガラス)の後を付いていきます!
三本足のサッカー日本代表のシンボルになってるカラスです
ヤタガラスの後を付いていくと、森の岩陰の中から飢えてガリガリに痩せた細った人たちがゾロゾロでできました
彼らの事を「生尾人(なまおびと)」と言います。飢えて極限までにやせ細ると、お尻の脂肪が削げ落ちて尾骶骨が飛び出して、まるで尻尾が生えているかのようにさえ見えるかだそうです
イワレヒコは彼らに食料を与え健康にして、彼らと共にナガスネヒコのもとに向かいました。
生尾人達まで味方につけたイワレヒコ一同はもはや大軍になっていました
そして大軍を引き連れてきてイワレヒコにナガスネヒコは言いました!
「お前はなぜワシの国で勝手なことをするのだ!」
「民衆が飢えて苦しんでいるのに、あながなにもしないからです」
「あたりまえだ。偉いのはワシだ。ワシだけが偉いのだ。なぜならワシはアマテラスオオミカミ様の直系のニギハヤヒ様を信じているからだ」
「アマテラスオオミカミ様の霊を得ているのは私も同じです。だからこそ私たちは民衆こそ大切にしていかなければならないのです」
「ワシの国に来て勝手なこと言うな。出ていけ!」
その後ナガスネヒコはイワレヒコに仕えることにしたニギハヤヒによって斬られます!
こうしてナガスネヒコに仕えていた人たちも、イワレヒコの配下となり
畿内に大きな米蔵を作りそこから国を発展していき
紀元前660年1月1日、新暦では2月1日橿原の宮にお住まいになられ
神武天皇として初代天皇としてご即位されたのです。
これが日本建国の歴史です!
いかがだったでしょうか?
少し今回の記事は漠然とした所があったかもしれません…
詳細はYouTubeチャンネル「結び大学」小名木先生が語られています、是非こちらもご覧になってください
最後までお読みいただきありがとうございました。
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