鼻づまり。まさかの原因と結果。
幼少期から耳鼻科のお世話になっていた。いや、耳鼻科だけではなく、眼、歯、口に関する病気を常に患っていた。
記憶する一番古いものは【さかまつげ】2歳ころ。手術室でライトが瞼にあたり、糸を引く感覚を覚えている。(術後はサングラスをしていた。なぜ??)
その後、中耳炎・外耳炎は常に。難聴(低い音が聞き取れない)で小学校の検診はいつも引っかかっていた。それに合わせて蓄膿症。毎週病院へ通い、プレートをもって一列に並ぶ。先生の前に立ったらそこから太い針を鼻に突っ込まれ、ものすごい勢いで膿を吸い込む。それが痛くて。泣き叫ぶ子もいたから、まるで地獄行きの列車を待つ列のようだったわ。
そして口といえば、虫歯。
それから高校生になってガマ腫という謎のふくらみが口の中を占拠した。切除したのにもかかわらず、何度も再発した。
鼻に関しては、何度も鼻が詰まっておぼれる夢をみるほど、私にとっては解決しない問題だった。毎年季節の変わり目に風邪をひき、鼻づまり、喉の腫れは重症だった。
強烈な点鼻薬を常時持っており、薬漬けの日々だったなぁ。
そんな私がとあることをきっかけに大改善したことがあり、その時からもはや数年、鼻をかむことがなくなった。もちろん薬は不要だ。
そんなわたしが、ここに来て鼻づまりで苦しんでいる。
風邪をひいても、翌日には鼻はとおっていたはずなのに、まるで何かに気づけと言わんばかり。
さて、何に気づく必要があるのだろうか。
とすると、「胃」は第3チャクラ。
そしてわれらがリズ・ブルボーによると「鼻のトラブル」は怒りを抱いているとな。
うーん。しっくりこない。
でも症状はあるので、読み進める。
うーん。そうなんだけど、今回はなんかもうちょっと違うんだよなぁ。
でスペシャルヒットしたのがこの言葉。
他の人の幸福に対して責任を感じている
あ~~~~っ。これやん。これが原因。
それもこどもの頃からあった呪縛、いや過去生から積みに積み重ねてきたものはこれだったんだ!!!
今世でいうと、父と母の関係について。
ふたりの喧嘩がやまない、機嫌が悪いのは私が彼らの言うことに従わない、また従おうとする意志がないことが原因(自分を変えたくないという意思の方が強かった。思うと自分らしくいたいという欲求が強かった)だった。
居心地の良いと感じられる自分でいても、周りはそれを好まなかった。
だからといって他者を優先すると自分のことが嫌いになった。
ブッタやイエスのクリシュナムルティやオグ・マンディーノが言うことを実践すればするほど、自分は楽になるのに、父や母は喜ばなかった。
それは明らかだ。私は出会い、何かしら関わりを持ったと実感した人に対して、傲慢な思い込みを抱いていたようだ。
私は誰の幸福に対して責任を負うことはできない。のに、そうであるべきだと自分を苦しませていた。これについて少しづつではあるが、自分に抱いた罪悪感をたどっていくと、これまでに出会い離れた人たちとの関係がより正しく明らかになった。そしてかなりホッとした。
第3チャクラのエネルギーは純粋な欲求を表現することがより健康的な活動を維持することができる。
先月はかなり活動的ではあったが、本当に叶えたいことについてはなかなか一歩がでない、ぐずぐずとしていた。(これに気づくまでずっと)
↑これが結果。
自分の純粋な欲求を正確に伝えるとこうだ。
祈るならこうだ。
そしたらすぐにその答えは見つかった。
そしてこの気づきから数日経った今日。新しい自分に出会い、楽しくてしかたない。
ただ、肉体の年齢が年齢ゆえに、治癒にはもう少し時間が必要らしい。
若い時は身体のことを無視しても、気力でどうにかしてきた。そんな生き方は今日の私には合わない。
身体の治癒と同じように、ゆっくりじっくり、自分の心と向き合い、精いっぱい自分に尽くしたいと思っている。
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