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親が「ゆっくりと消えていく」

何だか物騒なタイトルに見えますが(笑)、でもこれは「悪い意味」ではなく。
(と、前置きしておく。)


親自身の認知機能が、徐々に、「淡~く」なっていっているのを感じる今日このごろなのである。


いや、ちょっと前までは、こんな感想を抱いたりしていたのだが。

自分、思わずその時は、「え、ホントに忘れちゃったの?!」「そういうことも、忘れてしまうものなの?!」と、母との電話口で本人に直接言ってしまいました。――そうでなくても忘れっぽくなっている人に、責めるような大き目のリアクション(そのつもりはないのだがついね)は、よろしくないのは重々承知なのですが。

正直言うとですね、相当、ムッときてしまったんです。(母に対してのその後の会話内では、その感情があからさまに表出し続けないよう、必死で隠しましたけど。笑)

そしてこうも思いました。
「自分が(逆の立場で)親だったら、子供がした(あるいは「自分がさせた」という考え方もできるかもしれないから)そんな「必死の生活」を、ボケても、死ぬ間際まで忘れないと思うけどなあ。」と。


でも、そこから更に月日は進んで、私もある意味「慣れてきた」「(多少だが)心構えができてきた」ところもある。


つい先日も母と話していて、実の子である私の情報について「おおお、そんなことすらもまた、もはや憶えていないのか……」という事例が、新たに(上に挙げたのとは全く別件で)いくつか散見された。
(今回は「忘れちゃったの?」と聞き返すことはなかったけどね。)

(うむ。そしてこれが更に進むと「あなたは……誰だっけ?」になっていくのだろうな。笑)



とはいえ、「自分の事についての記憶」の例だと記事にはこれ以上詳細には書きにくいから、
例えば別の例で挙げていくと。

先日まで放送されていた朝ドラ『虎に翼』を、うちの母も見ていたのだが、主人公の母親役を演じる石田ゆり子氏のことを、うちの母は、仁科明子氏だと思い込んでいた。
……んん?! ま、似てなくはないけど??
……でもなあ、石田さんと仁科さんは結構世代からして違う俳優さんだし、どちらも有名な方だし、「フツーは」間違わないよなあ。

一応、その「間違い」を母の口からきいた瞬間、ちょっとギョッとはしながら訂正したりもまたしてみたのだが、何というか、「だんだんこういうのに慣れてきた」私もやはりいる。「そんなものかな、歳をとるとね。」と。


母はいまだに、母の姉たち(つまり私の伯母にあたる方々)と電話で連絡を直接取り合っているようで(母の姉たちは皆、ご健在である)、母の話からすると、その母の姉たちも割と似たり寄ったり、「認知機能が淡くなっている」状態のようではある。


で、母もまた(自分のことは棚に上げて)忘れっぽくなっていることを姉たちに対し指摘すると、「○○ちゃ~ん(母のこと)、もうワタシ、最近はこんな感じよ~」てな調子で姉たちから返されるらしいのである。
(何か、のほほんとしていていいよね。こんな感じでありたいよね。)


うちは父も(母より四つ年上だから、そりゃまあ)似たり寄ったりな状況になりつつあり、でもそうはいっても、何だかんだ二人とも、今のところはとにもかくにも明るく過ごせてはいるので、「その気分的なもの」を、何とか最後までそのまんまキープさせてあげたい、みたいな気持ちにも、もはや切り替わっている私である。

だって老いていくにつれ「認知がだんだん淡くなって薄れていく」のは、免れぬことだもんなあ。
(と、だんだんこちらの心も決まってくるよね。)

「相当忘れちゃって、認識できることが少ない」状態にこれからもし更になっても、本人が明るく機嫌よく、その時どき、その日その日を、過ごしていってくれたら、ま、それでオールOK!かもね?という気にすらなってきた。
(こっちもそういう心持ちでありたいよね!というのも含めて。)



「個々が認知しているもの」が「その人の世界」を形成しているのだとしたら、うちの両親とも、そろそろ、少しずーつ、「この世界」つまり「この世」から、その姿を消し始めている、とも、これはいえるということなのかもしれない。

魂みたいなものが、まるでその生まれたての頃のように「再び」自由になり始めて、この「現世の立場とかの枠の中」からも自由になり、漂い出し、そして最後には「この世という枠」からさえも出ていってしまう、というその「過程」なのかもしれない。

――うんうん、そうねそうね、
「突然姿を消されてしまう」カットアウトよりかは、こうして、「徐々に(私から見ての、精神的な親としての)姿が消えていくフェイドアウト」のほうが――「今はその過程なのだ」と私も認識しているほうが――「状況の急変」よりかは心理的ショックは小さくてすみそうだし、これはこれでまた、いい面もあるのかもな?とも思えてきた。
(というか「そう思うようにしてみた」というほうが正しいかな?笑)

「ゆっくりとだが、フェイドアウトしていく親」
それもまた悲しくないわけではないけれども、でも、「仕方ない」と割り切る心の準備期間もできるしな?と。

ま、老いてきた両親について、「心理的孤立から、先にその認知機能だけがこの現実世界から、ブツッと途切れて、一気に離れていっちゃう」なんてことのなるべくないように――つまり「この世」(その一部として息子である「私」がいたりするわけだが)とのつながりを意識し続けてもらえるように――いずれどうしても離れていくのだとしても、それが「ゆっくりゆっくり」になるように――更にマメに連絡をとるようにしてみようかな?とも考えている。


なんとか「ゆるやか・穏やか」に、何なら「明るく・朗らか」にも、その「最期の下りの坂道」を、歩かせてあげたいものだ、なんてことを思い始めている私がいる。
(さて、こんなふうに「思い描いたイメージ通り」に、果たして最期までいきますかどうか?!?!笑)

――ま、「私のこと」や「私の親であること」が多少解らなくなることまでは諦めがついても、なるべくなら、最後の砦ともいえる「本人自身のことと、本人自身が営むその日々の生活のことと」は、やはり何より解らなくなっちゃわないように。

何とかそこは阻止したいと思うじゃないですか、そりゃあね!
私がやれるだけのことは、私自身の後悔にならぬよう、今のうちにやっておこう、みたいなね!




「私という息子の存在」のその岸辺から、これまで接岸もしくは割と岸に近い位置に錨を下ろしてしっかり停泊していたはずの親の「認知の舟」が、徐々に、ゆっくりとではあるが、だんだん沖へと離れていくような、この感じ。


母の姿カタチはそのままそこにあるのに、「私の親としての母」の姿は、その中から(だんだんと徐々にではあっても)薄れて消えていく、ということ。

――先にそれを想像してしまうと、せつないな!――ううう、ちょっとそれはツラいな!(笑)

とはいえ、「そういうこともこの先あり得る」と、先に心づもりくらいはしておいたほうが、いいのだろうな。
そういう時こそ「信じられない!信じたくない!こんなの現実として受け入れられない!」な~んて言っている場合ではなくなるだろうし。
「ショックを受けてよろめいている場合ではない!こちらはしっかり立って、対応策を考えていかないと!」となるだろうしな。



そして、
視点を親の「脳内で記憶している世界」の側に移してみる。

――そこから、少しずーつ、少しずーつ、ではあるが、たとえば「私という存在」(少なくとも「それに関する情報」)は、薄れていってはいることは確かなようだ。

「でもさすがに……完全にすべてが消えることは、最後までないよね?」と、信じていたいけれど。

しかし、現実問題、これはこの先、どうなっていくか、本人はもちろん誰にもわかり得ないことであり。



「親の認識の世界の中から、いつか私という存在が消えるということ」
――こうして改めて文字にしてみて、あえて先に自ら、「いつかくるかもしれない現実」に直面「させて」みる。

うーむ。
「心許なくない」と言えば、嘘になるが。

しかし、ここにきて、これまでの「(生物学上ではなく精神的な意味での)親という存在」の、その「実はそこにいてくれるだけで既に」なありがたみを、今更ながら思い知るという――これはその「良い機会」を与えられているということなのだろうなあ、ということも、また改めてひしひしと感じている次第であり。
(親本人が「その精神上でも親」であるうちに親孝行したいものだわ、と。――いや別に「あなたは誰ですか」と言われるようになってからだって、生物学上の親は親のままで変わりはないし、あるいは育ててもらった恩が消えるわけではないから、親孝行はすべきだけどさ。笑)



ふと、気づいてしまう。

父だって母だって、生まれた時から「人の親」だったわけではないのだった。

――いつかそのうち、「親である前に、一人の人間でした」という状態に戻ろうとする時期が仮に来たって、それは仕方ないことなのかもしれない。

だって私自身が既に、人の親になってもいいくらいの年齢なわけだからさ、
「永遠に、私の親としてそこに必ずいて、その役目を果たし続けてくれよ」
というのは、いくらなんでも、(実の親とは言え)「一人の人」に対してするには、「大き過ぎる・長きにわたり過ぎる要求」とも思えてきた。

うちの親も、もしかしたら、「一番戻りたかった自分」に、最後の最後で実際戻ろうと目論むのかもしれないし。
――それが偶々「人の親でなかった頃の自分」だったとしたら、それを責めることはできないよなあ、と。


いや、振り返ってみれば。
「ここまでずーっと」「その人生のうち何十年も」、である。

うちの親は、かなりちゃんと、「私の親」であろうと意識し続けてきてくれたと思う。

それがもしも仮に、「その責任感・義務感からだけで」だったとしても。
――いやいや、それならなおさら、それは十分に感謝すべきことだし。


考えてみると。

私より世代が上になればなるほど、「家族を持つ」とか「結婚する」とかそういうことに対して、「そうしなきゃいけないものだから」という動機だけでそうした人の割合も、増えていくと思うのだ。

――つまり
「自分の意思で選ぶことが許されるなら、ホントはずっと家族は持たずに独りでいたかったのにな」
って人も、実際は結構いたのではないかな??

(うちの親が「ホントは一番に何を望んでいたか」は、もちろん私にはどうしたって今更わかり得ないことだが。)

そんな「本心」を、周囲に一度も吐露することないまま、いや、自分ですらも、そんな自分に気づかぬ「フリ」をしたままで、一生を過ごした人だって、確実に一定数は存在した気がするんだよなあ。
(てなこともあり得るからさ。)
(昭和の中頃までは、「ずっと独身でいる」人に対して、世間の風当たりって、昨今よりもっと強かったですよね?
「そう望む時点で罪」「独りでいたいなんてちょっとどうかしている」と、世間がヒッソリ、でも脅かし続ける、みたいな?
すると「自分の本心にフタをして生きていく」って人も――意識せずともそうするしかなかった、という人も――自ずと多くなったでしょうしね?)

ちなみに、私自身は、「許されるなら生涯ずっと家族は持たずに最期まで独りでいたい」タイプではありますし、それを現況、実行に移しておりますが。(笑)
たぶん、うちの父と母についてはどちらも、「生涯独り」というのは望まないタイプ……だったんじゃないかなあ?と私はみてますけどね!
独りだとやっぱ寂しそうに見えたりもするので。
(とはいえ、繰り返しますが、こればっかりは親とはいえ人の心の中のことだから、本当に、何ともわかんないけど!)
(だって、「本人自身」にだって、社会の風潮がそんななかで育ってきたなら、「自分の本心」なんて、わかんなくなっちゃうもんじゃない?)



(話をまた広げ過ぎた感。笑)
(なのでまとめとして、)
最後に再び、うちの親の話に戻すと。

もうその年齢を鑑みても、意識の上でもそろそろ、「人の親」を始めとする「あらゆる責任・立場」から、一人の人間として「完全解放」される時がきたっていいよね?と。

親が、「自由」に、「漂い始めた舟」のように、私がいる岸辺から遠く遠く、その意識が漕ぎだして、いつか「沖合をいく船」のような存在(それも、こちらからあちらが見えているだけで、あちらからはこちらの岸は見えてない)になることが、もし仮にあっても。

何より私みたいな者こそ――「自由」というものを愛し、そしてそれを実行に移して生きている、そんな私であるからして――それを嘆いたり、ましてや咎めるような気持ちになったりしては、いけないんじゃないか?

とも、私は思い始めたりもしている今日このごろなのである。