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「100%信じる」ものから疑う
「マインドコントロール」とか「洗脳」って
されている側にとっては、
「まさか自分がされているわけない」 なんだよな。
――と、いうのを
踏まえた上で思うのだが。
小さな洗脳やマインドコントロールは、
日常的に、どこにでも、
存在しているものだと思う。
(「意図的なもの」と
そうでないものと。
――そう、その二つが
「混在している」から
かえってわかりにくくもなるのだが。)
つまり、きっと、
こんなことを書いている
私自身だって既に多少
何かしら「されている」のだとと思う。
![](https://assets.st-note.com/img/1681346194970-rAGcLQRc4p.jpg?width=1200)
「思い込み」が
ゼロで生きている人はいない。
そして、その「思い込み」の中には、
誰かが意図して
「そうなるように仕向けた」ものも
もしかするとあるのかもしれない。
(それに自分が気づいていないだけで。)
――そう、それはやはり本人が
「気づかぬうちに」なのである。
(何故ならそれこそが
洗脳やマインドコントロールの特徴だからだ。)
信じ切っているものこそ、
少しだけでも疑ってみるべきなのだろう。
「100%信じ切れる」そんなものこそが
この場合、
一番疑わしいとも言えるからだ。
(あと、
「こっちは疑わしくなったから
では逆のこっちをまた信じ切ろう」
みたいなことこそ、
最も危ない気がする。
――それこそが
「意図的なほうのコントロール」の
その「手口」だったりするわけだから。)
(基本姿勢としては、
「必ず全てを少しずつ疑う」
が理想的だと思う。
――ま、それはそれで疲れるけど、笑
でも、それを面白がりさえすれば、
そっちのほうが世の中面白いとも思う。)
![](https://assets.st-note.com/img/1681346280084-DxOMyj8Zpm.jpg?width=1200)
そこに「騙す人」が存在する限り、
この世において、
「信じること」その行為は、
必ずしも美しいものには
なり得ないのである。