恵那市のマッドサイエンティスト
二十四節気「清明」を迎えようとする頃、恵那市のマッドサイエンティストを紹介してもらえることになった。聞きなれない単語で聞き返してしまったが「狂気の科学者」を意味するらしい。
雅園芸は坂道をぐんぐん登り、見晴らしの良いところにあった。こうして稜線を見ながらの仕事は、思うようにならないことも、受け入れられるのかなと思った。
時代は平均して何でも出来るというよりも、尖がった何かが武器になる、とも言われる。一方で、百の姓を成り立たせることで今までにない仕事を作り出したり、その中のどれかを生かして副業をするなんてよく聞くようになった。私が訪ねる生産者さんはこの相反する二つともを兼ね備えている方ばかりだ。
雅園芸の各務さんにハウスの中のイタリアン野菜を見せて頂くことができた。たくさん名前を教えて頂いたが聞いたことのない野菜ばかりだった。耳からの情報より目からの情報が圧倒的というのもあって名前は覚えられなかった。。。特に珍しい野菜を味見させて頂いた。味は濃く、辛く、今までにない味覚、食感。確かに各務さんのおっしゃる通り、プロしか使いこなせないのも頷ける。
「清明」とは春の日差しが万物を照らし、清く明るくする時期なんだとか。このイタリアン野菜のビビットカラーはまさしくそれだった。色には明清色というカテゴリーがあり、その中にはビビット、ブライトなんて表すのだがまさしくそうで、野菜の美しさには感銘を受けた。万物を照らしているのを体感出来たように思う。
このイタリアン野菜を求めてり全国から料理人が訪れるらしい。ハンドリングの難しい尖った味覚は、本場イタリアで修業したプロの料理人からしたら、大阪からでも東京からでも全国から恵那市に足を運んでしまうのだ。
微生物との会話を大切にしている。土着菌もそれぞれ場所によって違うからそれに合わせるだけ。
これが恵那市のマッドサイエンティストの由来だ。
世界中が見えないウィルスに翻弄されてもう一年以上が過ぎた。日本の歴史上では、目に見えない発酵の技術が風土病を乗り越えられた一つだと思っている。味噌や醤油、藍染もしかり。そして循環の最初と最後、土の話に触れられたことは私にとって点と点が繋がったように感じた。
今まさに、清く明るい世の中になることを望んでいる。目に見えないものばかりで翻弄されるけど、目に見えないものに守られているというのも事実。今回覚えた土着菌という言葉。私の栄養になりそうだ。