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雫が溢れる日。
確か義父母を納骨した日もこんな空をしていた。
雨が降っても降らなくても、どちらでもおかしくなんかない。そんな色を孕んだ雲が一面に広がっている。
いつもなら仕事の土曜日、久しぶりに二度寝した。まだ目覚めきらない頭を抱えて、ベランダでぼんやりと寒い冬の記憶を呼び起こしていた。
これまではお寺まで出向いて法事を行ってきた。大通りから裏道に入り、ちょっと怯むくらい狭い道をこわごわ超えた先にあるお寺。暑い季節はしぶとく強い蚊が飛び回る、だけどお庭の花がしとやかに咲くそのお寺が嫌いではない。妙に角度のある小さな橋を渡る時、子供たちはいつもちょっとはしゃいだ。大人たちは転ぶのを恐れて、まわり道を迂回して御堂に向かう。大きくも新しくもないけれど、いつも凛とした空気を纏うそのお寺。
が、色々と(本当にいろいろとあった)紆余曲折した結果、今後の法事は全て私の実家で執り行われることが私の母から言い渡された。
私の祖父からはじまり、義母も義父もおんなじ仏壇おんなじお墓で供養していくのだ。祖父は長らく1人気ままに休んでいたところへ、急に孫娘の夫の両親がやってきてさぞかしびっくりしたことだろう。そこへ今回、ようやく祖母が来てくれたことでちょっと安堵したかもしれない。
勝手知ったる実家での法事とあらば、そこまで気を張らなくてもいい。私は落ち着いた色合いの普段着で参加することにした。喪服は疲れる。普段ストッキングも履かないので、靴下の方が助かる。葬式でしかつけないパールのピアスも、落とさないか冷や冷やするからつけたくない。
夫はあまり実家に足を踏み入れない。近頃は機会がないのだ。反面、子供たちは定期的に泊まっているので私よりも小慣れているだろう。
今回、もろに期末試験と被った息子は不参加となり、夫と私と娘だけが向かうこととなった。
13時からだから、12時40分くらいには来てね。母からそう連絡を受けていたので、十分間に合うように支度をする。私の母は待ち合わせよりも15分くらい早く行動するせっかちな人だ。8時に家を出るね、と連絡してきたのに、8時に着いていたりする。油断ならない。
ここで些細な問題が発生した。私と夫はたんまりと朝ご飯を食べてしまい、昼ご飯のタイミングを完全に失ってしまったのだ。朝から欲張り過ぎた。なんで目玉焼きを2個も焼いてしまったんだろう。夫は夫で、食パンをお代わりしていたし。
そして娘は盛大に寝坊して、そもそも食事をとる暇がなかった。なんてこった。
仕方ないから、少し早めに出て、実家近くのコンビニでおにぎりでも買おう。そう決めて車に乗り込む。時間は12時過ぎ。この分なら12時半より前には実家に着ける。よしよし、これならおにぎり買ってもなんとかなるでしょう。
と思っていたら。
実家に着く寸前、母からLINE。
「お寺さん、もう来ちゃった」
………13時からじゃないんかい。
お寺のひとは、うちの母より油断ならない時間で行動することを初めて知った。勘弁してよ。ギリギリに来てよ。訪問は5分前が適切だよ。
うちの娘は空腹だとアンパンマン並に力が出なくなる。ただでさえ法事にかける熱意が大人より少ないと言うのに。
「娘、朝ごはん食べてないからコンビニ寄ろうと思ってたんだけど」
と急いで返信するも、とにかくはやく上がってこいと返ってくる。そりゃそうだよな。
仕方ないので空腹な娘を引っ張って実家へ。
私も久々の実家は、仏壇の部屋とリビングの床が盛大に掃除されていた。いつもはモノだらけで見えない床が美しく磨かれている。
反面、リビングの机は物で溢れていた。一旦移動させたんだな…という母の苦労が見て取れる。
法事の前には買い替える、と共に選んだ新品のカーテンが風に揺れている。高齢の母1人でよく付け替えできたなと感心した。
全員揃ったので、時間より早く法事が始まった。
椅子でも構いませんよ、と言われたけれど、こんなに床が綺麗なんだから正座しようと試みた。が、できない。正座ってこんなに足きつかったっけ?自分の下半身に愕然とする。夫は早々に胡座に切り替えていた。私も足を崩しながらなんとか床におさまる。
お経の合間に電子レンジのピーピー音が鳴り響いた。どうやら娘のために冷凍ご飯を解凍してくれたらしい。なにも法事中にそんなんやらんでも。でもお経真っ最中なのでツッコミが入れられない。なかなか取りに来ないのに痺れを切らして、レンジはもう一度鳴り響く。わかってる、わかってるから、もう少し待っててよ。
自宅での供養は20分ほどで終わった。今回は納骨もあるので、ここから車で墓地へ移動する。夫が車を取りに行く間、慌てておにぎりを握る母。にぎりたてのそれを頬張る娘。見守るお寺さん。なんだこの光景。
予報では曇りでもつかと思ったが、お墓を掃除し花を生けて「では、」と骨壷を開けたあたりからぽつぽつ降り始めてしまった。
唯一、ひと一人で精一杯サイズの折りたたみ傘を持っていたので母に差し出す。
母はお経を読むお寺さんを懸命に雨から守る。
私は服に染みる雫を感じながら、ああ、義父母の納骨の時もちょっとだけ雨が降ったんだっけ、と思い出した。
あの日は今日より寒くて、みんなきちんと喪服で、体を震わせながら骨を納めた。
骨壷から骨をダイレクトにお墓へ投げ入れるスタイルの斬新な納骨。
あの日は娘が受験でいなくて、息子が初めて見る人骨に少し身を固くしながらも孫の役目をきっちり果たしていた。
今日は代わりに娘が役目を努めている。おにぎりの力か、彼女は張り切ってお水など運んでくれた。
納骨が終わるのとほぼ同時に、見計らったかのように雨は止んだ。
涙雨と呼べなくもないタイミングだったけれど、誰の涙なのかは分からない。
ただ、手を合わせながら何かを祈った。安らかさとか、この先の平穏さとか、そういうものを。
この数年はあまりにも慌ただしく、悲しい出来事が続いてきた。この先数年、どうか家族全員が無事でありますように。お墓で祈ることでもないのだけど、思わずにはいられなかった。
帰りはコメダに寄って全員でもりもり食べた。変な時間にたらふく食べる昼ご飯。時刻は15時を過ぎている。海老カツサンドも、網焼きホットチキンサンドも、ポテトもチキンも頼んだ。当然、その日の夜ご飯は遅い時間にとることとなった。全員、ちょっと太った。しばらくは力が出ないこともないだろう。