あれからもう3年経った日。
まだ目覚めきらない頭で、スマホを手探りで探し当てる。
朝焼けにもやや遠い時刻、なぜか無意識に過去の写真を探していた。
蒼い髪をしたあのひと。
式典の数々。
そして、最後のダイアモンドホール。
ひとしきり見つめ、思い出を手繰り寄せ、反芻が終わった頃。
なんでだろう、と不思議に思った。
どうして今、急に写真が見たくなったんだろう。
考えて、わからなくて、もう一度スマホの画面を見て。
完全に目が覚めた。
ああ。
こんなことって、ほんとうにあるんだ。
無意識の中に、箱に丁寧に包んであるような記憶が蓋を開けて出てきたのだ。
画面に映し出されている日付は11月29日。
柊生元帥が旅立った日、そのものだった。
涙こそ出なくなった。
それでも、もう同じ世界で同じ空気を吸い込んではいない。その事実を思い出すたび、胸には静かな痛みと寂しさが広がる。
まだ鮮明に呼び覚ますことができる。
あの日、3年前の12月2日、仕事終わりの薬局のレジでスマホをなんとはなしに眺めた時、あまりに唐突に飛び込んできた「訃報」の文字。
その瞬間の慟哭を、今でも、きっぱりとこの身に宿すことができる。できてしまう。
それは私が人生で初めて体験した「愛する推しの死」だったから。
ネットニュースで、SNSで、著名な誰かが亡くなると。
あっという間に悲しみに濡れたコメントが溢れかえる。
信じられない。
嘘であってほしい。
夢なら覚めてほしい。
今までありがとうございました。
出会えて幸せでした。
ご冥福をお祈りします。
数多のコメントのどれもが推しへの愛を語っている。
あの日まで、それは全くの他人事だった。
「可哀想だな」程度にしか捉えきれていなかった。そのことを痛く思い知った。
愛する人が唐突にいなくなることは、可哀想なんて一言で片付けられない。
処理できない悲しみの濁流が次から次に押し寄せてきて、それは涙や叫びになって体外に放出される。
それでも濁流は止めどない。
涙は枯れない。
圧倒的喪失。
私はどのコメントもできなかった。
喪ったことを認めるのがつらかった。
今でも不意にあの声を聴きたくなる。
コロナで緊急事態宣言や自宅待機に怯えていたあの頃、毎日のように元帥が配信してくれたツイキャス。
一人ひとりの名前を丁寧に読み上げてくれた、低く色気のある声。
ああ。会いたいなぁ。
目を閉じれば別世界にいる彼のことをまざまざと見つめることができるのに、目を開けたらいなくなってしまう。
鮮烈な痛みは少しずつ鈍くなっていったけれど、寂しさは絶えない。
あと数年したら、元帥の歳、追い越しちゃいますよ。
私より年上だったはずなのに。
ずるいなぁ。きっと、今でも色っぽいんでしょうね。
愛した記憶と無数の思い出はそのままに。
今年も、静かに暮れゆく。
年が明ければ、すぐにもうひとつの大切な日が訪れる。
その日の夜は、きっと一人で小さく乾杯するだろう。