先生ありがとうございました
人の死というものに触れて泣いたのは人生で2度目です。
それは自分の中にやり残した想いがあるから。
母の介護と看取りを経て、悔いのない生き方をしようとあれほど意識していたのに、とてつもない思い残しになってしまいました。
コロナ禍に入ってリアルの講座がなくなり、ここ3年間は小説を書くことに重きを置いていたので満足に先生に会いに行けませんでした。
それでもかなりの頻度でSNSを更新するたびに足跡をつけてくださって。
小説を書き始めた時も完成を楽しみにしている、とコメントをくださり、とりあえずは近況は伝わっているのかな…という時間でした。
何よりも悔しいのは、この1年半ほどはほとんど本業の活動ができておらず、今こんなことやってるんです!と胸を張って言える生き方ができていなかったことです。
本業をおやすみしたのはそれなりの理由があってのことですが、もう先生に報告もできなくなってしまいました。
まさか、こんなにも早く、突然に先生が逝かれるなんて思ってもなかった。
だからこんなにも悔しくて涙が出るのだと思います。
この思いは時間をかけて感じきります。
感じきってどう活かすか。
そう思えたのは、自分の中にどんなことがあってもゆるがない部分があることに気付けたからです。
誰にも何にも影響されることのない大切な部分。
それをカタチ作ることができたのは、今まで出会った人や起こった出来事があるからです。その中には先生もいます。
ちゃんと辛いことも悲しいことも、ココロの肥やしになってました。
今の私が生かされて活かされているのは
先生との出会いがあったからです。
先生、また必ず会いましょう。
いざなぎ流の師匠の計佐清太夫に来るのが早すぎるって叱られていないか心配です。
たくさん美味しいものを食べて飲んでください。
ありがとうございました。
どうぞ、安らかにお眠りください。
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