立ち止まることの多い人生
すっかり更新が空いてしまいました。
毎年春はぐずぐずしていますが、例年こんなにしんどかったっけなぁな毎日です。
今日は取材旅行と称して久しぶりの場所へ行ってきました。
今書いている長編小説の主人公は僧侶です。
そしておそらく、舞台になっている時代は限りなく昔の日本の奈良。
この僧侶が苦悩し、葛藤し、生きている風景と、今日お参りしたお寺とそのお寺から見渡せる景色が重なって仕方がなく、実際に現地に赴いて五感を使えば何か見えてくるものがあるのではないかと思ったわけです。
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電車から見えるお気に入りの車窓に心躍りながら向かう道すがら、書いている物語とリンクするような出来事もあり、なんとなく励まされているような心持ちになりました。
私は至って普通の人間で、何にも特別な人ではありません。
そもそも、誰と比べれば自分は普通なのか、普通じゃないのかって判断できるのかよくわからないものです。
でも、それなりにいろんな苦しみは味わって生きてきたように思います。
きっとみんなも生きづらいし苦しいし、悩んでると思う。
みんな普通でみんな変。みんな苦しくて生きる意味を探してしまう。
じゃあ何がどこでというと、私はその些細な苦悩ですら気になるタイプの人間だということなんだと思う。
もう少し言い方を変えれば、それだけ改善点の多い気づかなければいけないことの多い人生なんではなかろうか。
横っ面を殴られるような出来事に遭遇することでしか、生き方を変えられないんだ。
だからたくさんの摩擦を生んでしまう。
本音と建前、自分と他人、感情と感覚…いつもこの摩擦で失敗をしてしまう。
それをどうにかするために私は書くとい手段を選んだ。
書くということは自分を晒すこと。
だって、自分の中にあるものしか描けないから。
ちっとも仕事やお金にする気もないくせに、今でもこうやって毎日悶々としながらiPadに向き合って嫌気が刺したり涙が止まらなくなったり、財布の中身を気にしながら参考資料を買い漁っている。
この先書き続けることでどんな変化変容があるのかは、楽しみでもあり恐怖でもある。
きっとそれすらぶっちぎった先にしか見えないものもあるんだろうけど。
振り返ってみれば、己の至らなさからたくさん人を傷つけもしたしね。
それを自覚したら、自分はしんどい人生なんだと被害者ぶることができなくなった(笑)
今宵はちっぽけな自分に嫌気が刺し始めたところで筆を止めることにします。
おやすみなさーい。