憧れのスプーン
ティーメジャーと呼ばれる、紅茶の葉を量るための計量スプーン。
それがわたしが子供の頃、ずっと憧れていたスプーンだった。
いろんな物語に出てくるお茶のシーンでは、ティーポットで丁寧に入れられた紅茶が出てくる。
しかし、うちには紅茶自体が置いてなく、田舎だったので近くのスーパーで売っているのは紅茶のティーバッグだった。
いつか大人になったら、ティーポット買って紅茶を飲むんだと、憧れを持っていた。
大人にならなくても、少し大きくなったら、バイトが出来るようになる。
そうすれば、自分で欲しいものは買える。安いものだけど自分のティーポットを買ったり、ミルクを入れるために小さな真っ白な陶器のミルクピッチャーを手に入れたり出来るようになった。
でも、地元より大きい町とはいえ、バイトをしていた隣町でもやっぱりティーメジャーは見つけられなかった。
電車に乗って、大きな町に行ったときに、わたしはきっとここなら手に入るだろうと、ティーメジャーを探した。すごいね、都会にはちゃんと紅茶のお店があるよと、やっと出会えたティーメジャーと缶に入った紅茶の葉を買って帰った。確か買った葉は、オレンジペコだった気がする。
そのとき手に入れた憧れのスプーンは、あれから25年以上経った今もずっと傍にある。
思えば長いお付き合い。結婚したときも引越しをしたときも、ずっと手放せずに持ってきた。
実は、憧れていたのはティーメジャーだけでなく、アフタヌーンティーのあの三段のお皿も憧れの対象だった。
こちらは更に長い間憧れ続け、20年ぐらい憧れ続けた後に、二段のお皿のものに出会えて手に入れた。
まあ、こちらは出番はほとんどないのだけど、それでも心の栄養として大事に持っている。分解できるから意外と邪魔にはならないし。
実は紅茶関係で、叶えていない憧れは、まだあったりする。
一度、お店でアフタヌーンティーをしてみたいという憧れ。
都会ならあるのだろうけど、田舎暮らしだととんとご縁がなくて。
そして、せっかくのアフタヌーンティー。楽しく一緒にお茶が出来る人と過ごしたい。
そんな憧れを今もずっと持ち続けているので、わたしには、ちょっとしたことを大概しぶとく憧れ続けられる才能があるのかもしれません。
これを才能と言っていいのか迷いどころですが、物は言い様です(笑)
思春期の頃、憧れたスプーン。
出番がお休みのときもあったけれど、わたしの人生の半分以上の日々を一緒に過ごし、家族の日々のお茶を、最近入った新入りのティーメジャーと時々交代しながら、量ってくれている。
こんなにも長い間、一緒に過ごしてきたことを、新しいティーメジャーを手に入れたときに、ふと気づいて。思えば、長いお付き合いだなぁと。
わたしのスプーンさん、これからもどうぞよろしく。