読書感想文じゃない部分が多い読書感想文
1週間立て続いた期末試験が終わり、便宜上大学は夏休みに突入した。
まだレポートがひとつ残っていて、完全に休んでしまうことへの罪悪感が頭をかすめている。
それでもここ一ヶ月私を追い詰めたテストが消えてくれたおかげで、時間は余るようになっている。
この1,2ヶ月にたくさん感情を揺さぶられ、さらに勉強で埋めていた時間の分も、私は感情を動かせる日々になった。
誰かの、それも大好きな人の決断は絶対に応援したいけど、私の心にあいた穴は思ったより大きいような気がしている。体の芯が抜かれたようで、昨日は朝から昼過ぎまで何も飲まず食わずでベッドにへばりついていた。
音楽を再生する気にすらならず、他のバンドマンのことを考える気にもならず、エアコンの稼働音をBGMに、私の場合は燃えていない燃えていない燃えていないと念じながら、自宅の本棚より「推し、燃ゆ」を手に取った。
大好きな人の変化、画面の向こうでばかり見るあなたたちの変化。
もとよりこの小説は好きで何度も読んでいたけど、こんな気持ちを抱えて、こんな風に共感する日が来るなんて思わなかった。
音楽も写真も声も動画もライブも、たくさんたくさん触れてきて、この6年間KEYTALKのことだけを考えて、KEYTALKを中心に据えて生きてきた。
だからこそ、事情を知らないのがこんなに怖かった。わかってるようでわからない、知り得ないことがたくさんあるなんて理解していた、けど。
多分私の知ってるKEYTALKなんて、本物の1割くらいなんだろう。
それでもいい、それがいいけど、それが怖い。
思考がまとまらない。
私のすべてはKEYTALKだと思っているけど、私にも生活があって、学校に通って、音楽とは対にいるような無機質な数式と言葉と日々格闘している。
頑張ってもベースはうまくならないしギターも諦めちゃって、歌が好きだけどうまく歌えなくて、音楽理論が少ししかわからない。
でも、不器用ながら何よりもKEYTALKを優先に考えていて、一人で新幹線に乗って一人でライブを観るし何時間でも電車に乗る。そのためならうまくいかずともバイトに行く。
KEYTALKを好きになって6年間。
中学を卒業して、高校に通って、大学に通って、生活は変わっても、私の柱だ。KEYTALKに縋って、よりかかって、生きてきた。
小説内の言葉を借りるなら背骨かもしれない。
いびつかもしれない。拠り所が偏ってる。
オタクは上手にやれていて、KEYTALKが好きな人同士なら友達になれる。
それでも日常生活は下手くそで、幾度となく空回り、友達もまともに作れていない。
私のどこをどう切り取っても、いまやKEYTALKの要素のない部分はもはやなくて、いっときでもKEYTALKが止まっている世界なんて考えられない、でもあと少しすれば、そんな日常はやってくる。
スマホのない日々はどう過ごしていたの、なんて問がよくながれてくるけど、私にとってはKEYTALKのない日々をどう過ごしていたの、と同義である。
それでも、(何度も言うことだけど)私は今までより一層躓きながら、生きていくのだとも思っている。
幸い活動休止しても会おうねって言ってくれてる友達がいて、他に好きなバンドやアイドルがいて、通いきりたい大学がある。
私がKEYTALKの支えを勝手に得ながら手に入れてきたものが、まだ手許で息をしてる。
ただそれだけで、それだけじゃ足りないけど、満たされる訳もなく、ため息を天井に漏らしてる。
今年の夏は一層大切なものを想う。
p.s.
私を知ってくださっているみなさんへ。
本当に情緒がコントロール不可能になっていて、わたしの悪い癖、すぐにツイートしてしまうが悪い方向に行っているような気がしています
ぐちゃぐちゃ言っていますが、日常生活はなんとか送れています
ただ、時間ができてしまい持て余しているような気分なのでこちらに浮上することも多くなるかもしれません
でも、活動一時休止の1日目がわたしの二十歳の誕生日なの、結構またえぐられそう
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