あなたは魔法を忘れてない。
子どもの頃、NHKの教育テレビですごく好きな番組がありました。
人形劇なのですが、地下の洞窟みたいなところに小人がうじゃうじゃ住んでいて、みんなで踊ったり、歌ったり…
それ以上のストーリーも、名前も歌のメロディも、何も思い出せないのだけれど、なぜかどうしてもこの番組のことが気になって、むやみやたらに検索をかけてみたことがあったんです。
そうしたら、見つかりました!
本当に見つけたいものはちゃんと見つかるものなんだな、と感動しました。
「フラグルロック」という番組だったんです。ご存知の方がどれほどいるか謎ですが、その魅力を少しご紹介していきたいと思います。
フラグルロックと言えばあの歌
踊ろうよ♪ 嫌なこと忘れ♪ 大きな声で♪ 歌え楽しく♪
働こう♪ 踊りなんて忘れ♪ いつも元気な♪
ここはフラグルロック!
この歌をもう一度聞けただけで感無量。そう、いつもオープニングはこの歌からでした。
当時は知るよしもなかったけれど、作者は「セサミ・ストリート」でマペット(あのモフモフした人形たち)を世界に知らしめたジム・ヘンソン。日本では1985年ごろに放映されていたようです。
小人たちは「フラグル」といって、それぞれに名前がありました。ゴーボー、ウェンブリー、ブーバー…愉快な仲間たち。
彼らの世界、フラグルロックは洞窟の中。フラグルのほかにもさらに小さな小人たちが住んでいて、クリスタルでできた塔をおやつにして食べたりしています。
その洞窟はおじいさんと犬が暮らす小屋の穴とつながっていて、また一方では巨人の王国にもつながっていて、たまに小人たちが冒険に出ては見つかりそうになったり、食べられそうになったり(!)。でも最後は無事に帰ってきて、皆でまた歌って終わる…
今こうして読んでみても、なんて魅惑的なストーリーと、楽しげな歌だったでしょう!
幻の最終回
実は、この番組について、心の奥の奥のほうで、ずっと気にかかっていたことがありました。
あんなに好きだったはずなのに、私、なぜか最終回を見た記憶がないのです。なのに、なぜだか、とても大事なお話だったような気がする。
思い出したい。思い出さなくてはいけない。
理由はわからないけれど、そう思っていました。それはもう、約30年ほど(!!)の間、どこかでずっと。
それで、最終回についても同時に調べてみたんですね。なんでもっと早く見つけようとしなかったんだろうと思いながら…
やっとわかった最終回は、こんなお話でした。
ちょっと長くなりますが、とても大事なお話だったのです。
犬と小屋に住んでいるおじいさん。
彼はフラグルの存在を全く信じていないために、フラグルの姿が見えない。
でも、最終回のちょっと前にたまたまゴーボー(主人公のフラグル)がおじいさんの所に行く。
そこでおじいさんの親友が遠くへ行くことになるという電話を聞いてしまう。
落ち込むおじいさん。気の毒に思ってゴーボーがおじいさんに触れた時、おじいさんにフラグルが見えるようになる。
最終回、おじいさんは親友についていくため、引越しを決心する。
おじいさんは引越す日に手紙を穴の前に置いておく。手紙を読んだゴーボーたちは落ち込んでゴミー様(フラグルの知恵袋みたいなお婆さん)に相談に行く。
ゴミー様に「私たちは誰でも魔法」、「魔法を忘れてはならない」というお告げをもらって、ゴーボーはおじいさんに会いに走るが、すでに家はもぬけの殻。
そこにテープレコーダーを残していたおじいさん。
ゴーボーたちは再生してみる。
「君と友達になりたかった、ごめんね」みたいなことを言っている。
場面変わって、新居に着いたおじいさん。
犬と「前の家に引越したときに壁際に箱が置いてあって、どかしたらあのフラグルの穴が開いていたね」という話をしていると、新居にも壁際に箱が置いてある。
思わせぶりにどかしてみるが、やはり穴はない。
再びフラグル達、ゴーボーを慰めつつ帰路に着くときに、
「友情って永遠」「そう一生『忘れない』」という会話の中で何かに気づくゴーボー。
ゴミー様に言われたことを思い出す。
「魔法を忘れてはいけない」→「僕らは誰でも魔法」→「僕らとおじいさんは離れてはいけないんだ!」
ということに気づくと、さっきまでなかった新しいトンネルを発見。
みんなでそこを歩いていく。
再びおじいさん。犬に向かって独りごとを話している。
「フラグルに会えたことで僕は変わった。
これは魔法だ。すべては考え方次第。
君も私もみんな、すべては魔法なんだ。
私達があの壁にフラグルの穴があると信じればある、かもしれない…」
そしてもう一度箱をどかすと、そこからゴーボー登場。
ゴミー様の言葉をおじいさんに伝える。
そしてキャラ総登場で主題歌の替え歌(「踊ろうよ」「働こう」のところがすべて「魔法はいいな」に変更されてる)。
歌いながらおしまい。
観たことのない方にはひょっとしたら伝わりづらいかもしれませんが…このあらすじを書いていたら、なんだか涙が出てきました。
そうして、すべてを思い出しました。
私、この最終回、見ていたんです。
でも、その日は旅行に出かけることになっていて、どうしてももう行かなくちゃならなかった。それで家を出る直前に目にしたのが、フラグルたちが新しいトンネルを見つけたシーンだったんです。
いつもと少し違う幻想的な音楽がかかる中、クリスタルのちらちらきらめく不思議な道をみんなが歩いていく…
子どもながらに、そのシーンに埋め込まれた神秘的な空気を感じとっていました。だから、あの後、フラグルたちがおじいさんに会えたのかどうかを、ずっと知りたかったんです。
ああ、やっぱり会えたんだ。そうわかった時、古いパズルのピースがカチン!とはまったかのような感じがして…何か、思い出以上に大事なものを取り戻せたような気がしました。
君も私もみんな、すべては魔法
最終回、今になって振り返るといろいろ気になるところがあります。
・フラグルたちの存在を信じていないおじいさんにはフラグルが見えない。
・おじいさんを慰めてあげたい、というゴーボーが優しさから触れたとき、おじいさんにもフラグルが見えるようになる。
まずこのあたり。
私たちは、自らのつくり上げた観念の中にないものは認識することさえできない。けれど、誰かに本当の愛で触れてもらった時、ハートが開いて、そこに癒しの力がもたらされることがある(そう、それは人間以外の存在であっても。例えばフラグルのような精霊でも。)
私たちを助けてくれようとしている存在は、本当はいつでもすぐそこにいて、手を差し伸べてくれているのかもしれません。ただ私たちが心を開こうとしていないだけで…。
・ゴミー様のお告げ、「魔法を忘れてはならない」
この印象的な言葉、現地アメリカでは "you cannot leave the magic." という台詞だったそうです。これは英語の話せない私の勝手な推測なのですが、この原文を見た時、ゴミー様は「魔法を忘れるな」と命令したわけではないんじゃないかな、と思いました。
「私たちは魔法から離れることはできないんだよ」
という真実を言っていたんじゃないかって。どんな魔法なのかというと、それはおじいさんの次の台詞に続きます。
・「これは魔法だ。すべては考え方次第。君も私もみんな、すべては魔法なんだ。」
これも原文はこちらだそうです。
"Everything's magic, if you see it that way."
”すべては魔法なんだ、もし私たちがそういう風に世界を見るなら。”
これは、さらっととんでもなくスピリチュアルなことを言っているなと驚いたのですが、「私たちは魔法のような存在だから、自分たちで目の前の現実を変えられるんだよ」ということを伝えてくれているのではないかな、と感じました。
だから、おじいさんが「あの壁にフラグルの穴がある」と本当に信じたとき(そういう現実を創ると決めたとき)、先ほどまではなかったはずの穴がそこに現れた。一方、「自分たちは魔法なんだ」と気が付いたゴーボーたちの前にも、新たなトンネルが現れました。
すべては夢物語のように感じるでしょうか?それでも、私たちは本当は、そんな魔法のような存在なんだよ、というメッセージが、やっぱりこの作品には込められているような気がしてならないのです。
私たちの無意識は実はそれが真実だとちゃんと知っていて、だからはっきりと理由がわからなくても、惹かれたり、愛着をもったりするんだろうな、と思います。
今回調べてみたら、なんと英語オリジナル版が日本のApple TV+にて2020年〜配信開始されたそうです。それまではVHS版しかなくて、ほぼ絶版ということだったのですが…ついに時代が追い付いてきたのか??もう一度観てみたくなってきました。
お子さんにも、かつてお子さんだった全ての方にも、お勧めの作品です。
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