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それでも許したい。

誰かのことをどうしても許せないと思う時、私たちの前には大きく分けて二つの道があると思っています。1、許さない。2、それでも許す。

これは2、に関わるお話です。

私がスピリチュアルについて学びはじめて一番最初に出会った原則、そしてこの世界のあらゆる教えは究極的にはこのことしか言っていないのではないかというほどの大原則は、「すべての現実は自分が望み創っている」ということでした。

私は昔から心のことに興味があって、心理学の本などをよく読んでいたので、許しが大切、許しを与えましょう、というような言葉をそれまでにもいろいろなところで目にしていましたが、正直、私のイメージはこんな感じでした。

「どうしてもあいつはムカつくし嫌な奴だし、あいつのしたことは最悪だったけれども、しょうがないから自分が先に寛容になって許してあげます。」

なんか、全然許してないけど・・・。笑

こんな風に、本当は相手のことが憎いけど、諦めて見切りをつけるか、聖人のふりをして、歯をギリギリ食いしばるかのように耐えるのが「許し」とどこかで捉えていたのです。

でも、スピリチュアルの学びをしていくうち、そうではないんだということがわかっていった。「すべての現実は自分が望み創っている」。だから、”嫌な奴で憎くて最悪”と思っていたあの人すら、自分の望みで目の前に現れてくれていただけだったんだ・・・と知りました。

そう、たしかに私はそれを知ったのです。知ったのですけれども。

その人への天命

ここからが本当に多くの人の通っていく道、そして私も完全には抜けられていない道ですが、頭でそうなんだと理解することと、本当にそれを体得する、まるっと引き受けることとは全然別なのだと思います。

自分が望んで創ったんだ、この体験の源は自分にあったんだ。

そう理解できるようになったとしても、感情が心がどうしたって追い付かないということがあります。「そんなこと言ったって、やっぱりあいつが悪いじゃないか!」と、自分の中のいくつもの人格がざわめくのですよね。

かくいう私も、ある人のことをどうしても許せないと思う日々が続いていた時がありました。

全ては私が選んだこと、私が望んだこと。相手のせいじゃない。知っているからこそ葛藤も深く、何べんその言葉を心の中で繰り返しても拭いきれない、どす黒い気持ちがいつも胸の辺りにもやもやと漂っていました。

ある時、スピリチュアルの学びの師がふと、そんな私にこう仰ったことがありました。

「その人に対しての、お前の天命は果たしたのか?」

心臓がどくん、と鳴りました。

その時の私は、天命というものを天から一方的に任ぜられる仕事のようなものとしてとらえていたので(後に間違いと気づきました)、特定の人に対する天命があるの?果たすも何も、どんな天命?といった疑問が瞬間的に湧いたのですが、それよりも早く、自分の奥の奥のほうから、「しまった、果たしていなかった」という微かな声が聞こえてきて、私は本当はそれを知っているのだ、とわかってしまいました。

「どんな天命だったと感じる?」

同じ場に居合わせた先輩が促してくださって、さらに自分の奥から湧いてくる声にただただ耳を澄ませていったところ・・・ふと、こんな言葉が口をついて出てきました。

「それでも愛すること。それでも許すこと。」

自分の言葉で、自分がはっとしました。ああ、そうだ。今回の人生で、私はあの人にそれを与えようと決めてきたんだった。なんで忘れてしまっていたんだろう。そう思った時、涙が出ました。

「それでも許したい」という心

それから、すっきりその相手を許せたかというとそんなこともなく(苦笑)、その後もいろいろと七転八倒ありました。でも、自分自身から出てきたあの時の言葉に、ずいぶん助けられたように思います。

憎しみの暗い底なし穴に落ちていってしまいそうになる時も、いやいや違う、それでも愛する、それでも許す、そう決めたんだ、と自分を奮い立たせることができました。

そしてつい最近のことですが、あらためてその人も含めた過去についての許しに取り組んでいた時に、こう強く思ったのです。

それでも許したい」。

その人を責める気持ちや、反対に自分を責める気持ち、いろんな文句が出てきていましたが、それでも。許せないという心をこのまま持ち続けるよりも、もう相手も自分も本当に許して未来を変えていく方がいい。そうしたいんだ、と心から思ったのですね。

そうしたら、瞑想の中だったのですが、自分と相手を包んでいる光がぶわん、と大きくなっていって、太陽のごとく強烈に輝いて、まるで存在している時空が変わっていくような感覚がありました。これまで何をしてもずっと自分の中に溜まっていた黒いコールタールのような影が一緒に溶けていくのを感じていました。

その時にこう思いました。許そうとか、許さなければとか、たくさん思ってきたけれど、意外と、ここまで「許したい」とは思ったことなかったな、って。笑

そして、「それでも許したい」という心に、天が力を貸してくれないわけはないんだな、と思いました。

なんだかそこにじーんとしまして、これはすごく大事でパワフルな心なんだな、と身に染みて思ったので、それを誰かにお伝えしたくて、お恥ずかしい話をふまえて書いてみました。

その後、その相手に対する感覚はかなり変わりました。また、違うところ、違う関係性で良い変化が起きるなど、明らかに現実に変化があり、許しの力ってすごいな・・・と(今さらながら)感じているところです。

それでも愛する。それでも許す。今、私はそれをあなたにしてあげられているかな。まだまだの時もあるかもしれないけれども、それを望むことの大切さを知って、そうしたい、とようやく思えるようになりました。

「すべての現実は自分が望み創っている」というこの宇宙の大原則。本当は、「だからこそ、自分がそれを変えられる」という大切な続きがあります。

許さないことで過去の自分が望み創った世界の中に留まるか。自分を許し、相手を許し、今からの現実を変えていくか。どちらも望み次第ですが、せっかくのこの時代。本当にあたたかくて、楽で、心地よくなれる方を選んでいきたいですね。





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