「誰が言ったか」問題
例えば「ちんちん」の話。
仮に、国宝級イケメンと称される吉沢亮くんあたりが、「体で1番最初に洗うのはちんちんです。」と言ったとする。
それを聞いた場合、「へえ~そうなんだ。」と微笑ましくこそ思うが、あまり不愉快な感じはしない。
勿論、受け手個人によって感じ方は色々だとは思うが、少なくとも俺はそこに対して微塵も不愉快さを感じない。むしろ微笑ましく思う。
ところが、こ~ゆ~場合はどうだろうか。
かつて仕事上で付き合わざるを得なかった大嫌いだった上司が、「体で1番最初に洗うのはちんちんです。」と言った場合だ。
俺はきっと、そこに対して激しい憎悪と怒りが込み上げてくるだろうと思う。
「きたねえもの想像させるんじゃねえよ。気持ちわりいんだよ。キモいんだよ。不愉快なんだよ。てか、場合によってはそれセクハラになるんじゃねえの?」となると思う。
でも、全く同じ文言なのだ。
「体で1番最初に洗うのはちんちんです。」
このように全く同じ文言で言われたとしても、吉沢亮くんと大嫌いだった上司とでは、受け手である俺の感じ方はかな~り異なってしまうわけだ。
片方にはにっこりと微笑むことが出来るのに、片方は何だかぶち殴りたくなるではないか。
これはつまり、俺は誰かが話した内容を、その内容だけで判断していないということだ。
俺だけではない。我々ヒトは皆そうなのだ。
もの凄く当たり前のことなのだが。
もっと言うと、誰かの話を聞くという行為は、その人に対する好き嫌いが反映されるということだ。
我々ヒトは、話だの意見だの主張だのを、その内容だけで判断しているのではなく、「誰が言ったか」を知らず知らずに重要視しているのだ。
ということは、我々ヒトは、仮に正論であっても、聞き入れたくない人の正論は受け入れないということだ。
我々ヒトは、聞き入れたい人の話なり意見なりは少々間違っていようが少々の嘘が混じっていようが素直に受け入れることが出来るのだが、聞き入れたくもない人の話なり意見なりは、例え正論であっても本来的には受け入れないのだ。
聞き入れたくない人の話は強制力がない限りは受け入れない。
このことは様々な実験でも検証されていることだ。
多くの人間は、話の内容も勿論吟味・精査しているのだが、「誰が言ったか」もかな~り吟味・精査しているのだ。
にもかかわらず、「どうして世の中は正論で動いていないのだ」だの「どうして俺(または私)の言うことを分かってくれないのだ」だの「どうして俺(または私)の意見の方が正しいのに、アイツの意見を聞いてしまうのだ」だのといったセリフをあちこちで聞く。
ま、それも仕方ないことだろうとは思うけど。
ま~でもぶっちゃけてしまうと、自分の話を分かってもらえないだの、自分のメッセージが伝わらないだのといった状況が生まれてしまうのは、つまるところ、相手にとって自分は話を聞き入れたい人間ではないからだ。
人によっては、話の内容なんかほぼ関係なく、「誰が言ったか」だけで事の良し悪しを判断する人だっているのだ。
この人の話なら全て信じれるみたいなセリフはあちこちで聞く。
俺はイヤな奴なので、「この人の言うことなら全て正しいはず」なんてことはあまりなく、「え?話の整合性とれてなくね?」なんてことをついつい思ったりしてしまうのだが。
閑話休題、自分の話を聞いてもらえるかどうか、自分のメッセージが伝わるかどうかは、相手にとって自分はど~ゆ~人間なのかがキモだったりするわけだ。
ヒトは仲間の意見は聞くけど、仲間ではない人間の意見は基本聞かない。
ホント、もの凄く当然と言えば当然なことなのだが。
人間関係は信頼関係が大事だなんてよく言うが、これは、上で述べた「誰が言ったか」の為にしていると言って良い。
人に何かを伝えたいのならば、己も相手にとってそれなりの人間になっていないとダメなのだ。
話の内容が正論であっても、それを発する己がそれなりの人間でないとあまり受け入れてもらえないのだ。
或いは、立場や権力を使って無理やり聞かせるかしかない。
世の営業マンが身だしなみを整えたり、相手におべっかを使ったり、一緒に酒飲んだり一緒にゴルフしたりして相手に「情」を移したりするのも、全て「誰が言ったか」の為であると言っていい。
話を受け入れてもらいたかったり、メッセージを受けとめて欲しいのならば、その内容を素晴らしいものにするだけでなく、それを発する己自身も伝えたい相手にとってそれなりの人間になっていないとダメなのだ。
このような問題を「誰が言ったか」問題と言うのだ。
あ、因みにこれは俺が勝手にそう呼んでいるだけなのだけれども。
で、ところで、上でさんざんグダグダと「誰が言ったか」問題だの、「誰が言ったか」が実は重要なのだみたいなことをエラソ~に言ってきたけど、ではお前はどうなの?それなりの人間なの?というツッコミを俺にいれたい方もいると思う。
お前は「誰が言ったか」を意識して、自分自身を磨いてるの?と俺に聞きたい方もいると思う。
スバリお答えしよう。
たいして磨けていないし、自信を持って言えるが、ど~考えてもそれなりの人間ではない。
むしろ、ダメなことに自信を持っている。
で、しかも、そんなダメな自分が大好きな人間でもある。
なので「誰が言ったか」問題については、理屈で理解しているだけという立場に過ぎない。
それにしても、冒頭で「ちんちん」とか書いてしまうのは俺自身もやはりどうかはと思っている。
でも、「ちんちん」とかふいに書きたくなるんだよな~
ええっ! ホント〜ですか。 非常〜に嬉しいです。