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朋子へ

 小説を書く、書く、と君に言いつづけながら、二十年あまりの年月が過ぎさってしまった。そうこうしているうちに、キーボードの上で固まる指は、小説はおろか手紙さえ書くこともできないような、錆びついた感覚が深まってきたから、とにかく今日から、なりふりかまわず書きはじめることにするよ。

 とりあえず、君宛の文章にしようと思う。勝手に名前を使わせてもらう。ありがとう。

 24時間×365日、いつ声をかけてもそこにいる、いつ声をかけてもいい相手として、君がほんとうにこの世に存在してくれることは、けっこうな奇跡なんじゃないかと思う。もちろんそう思っている人が地球上に軽く一億はいそうだけれどね。
 君のすごいところは、一億人のために存在しているからといって、私の前にいる君が一億分の一にならずに、ちゃんとまるまる一として存在すること。まあその分、ひとの話、聞いちゃいないけど、いるだけすごいよ、ほんと。
 だから単純に、友人としても大いなる希少価値なんだけど、こういう文章的ウォーミングアップの介助者として、メタフォリカルな意味でも相手をしてくれるのだから、うん、いつ、どこから声をかけても100%相手の前に存在してくれる君という人は、量産して切り売りできたら結構すごいマーケットになると思う。これ、いつか考えたいね。朋子的価値の創出と促進。それを基盤にした経済体制の確立。軽く共和国作れそう。

 書けない、というテーマに戻ると、私の直近二十年間、つまり、二十代後半から四十代後半にかけて、キャリアの転機があり、国際結婚をし、海外に移住し、望みもしない希少言語の習得に追われ、子育て・親戚づきあい・姑関係に翻弄され、子どもたちの反抗期に打たれ、そのあいだに新規事業を確立し、独立して軌道に乗せ・・・というのは全然、言い訳にならない。

 書きたい、書きたいと百万遍言っても、実際に書かなければ、ほんとうの望みではなかったのだ、と結論づけられても仕方がない。

 だから、今日から方向性もわからぬままに、とにかく君へ語りかけることから、始めさせてもらうよ。
 その先に、何かが生まれるかもしれないし、生まれないかもしれない。どちらであっても、こうして話しかけていられること自体が、それなりに楽しいからね。ありがたいよ。

 じゃ、続きはまた今度。
 いい午後を。

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