今まで捨てられなかった「きみ」へ
断捨離とか、ミニマリストとか、よく聞くようになりましたね。
物を少なくしたらいろいろな恩恵があるらしい。(あくまでも聞いた話では。)
毎日着ていく服に悩む時間が減る。
(そんなに悩んでいないけど。)
ムダなお買い物が減る。
(確かに似たような物を買ってしまって後悔したことあります。)
捨てるという行為を経験したからこそ、買い物に慎重になる。
(元々、買い物には慎重ですけど。)
風通しが良くなるから新しい運気もめぐりやすくなる。
(それは経験してみたい!)
捨てるという行為は綺麗にはなるし、達成感も味わえるますからね。
ここまで読んでいただければ、とっくにお気付きでしょうが。
わたし、どちらかというと物を大事にする方です。
(いい表現でごまかしてますね。)
物理的に着れない、壊れた、危険となれば、パッ!と捨てれます。みなさんもそうでしょ。そこまでくれば「しかたない。」
ただし「使える」となれば。
それが迷って迷って買い求めたものだとしたら簡単には「捨てられない。」
最近はめっきり使うことが減って、きちんと片付けてしまっていても、そこにあることは重々承知で、「なにかあれば(具体的には浮かばないけれども)」また一軍にやってくる、いわば故障者リストみたいな存在に対しては。
「捨てられない。」
それは。
鞄。
「きみたち」は今は二軍に甘んじているが、わたしの求めがあれば即、ピンチヒッターとして再び陽の光を浴びることができるよう、新聞紙などで形崩れを防いだり、埃がたまらないようにカバーをかけたりして、じっと出番を待っている。
一軍復帰はいきなりやってくる。
この色が可愛い。ああ、やっぱりこの形、色、可愛い。これからはレギュラー入りか、とお出かけに連れていく。何年かぶりの陽の光。
「捨てなくてよかった。」
新潟の弱い太陽の光の中、自分のチョイスに満足して鞄を元気よく振りながら歩くわたし。
しばらくしてふと気づく。
散らばるピンク色。
コートに付いている鱗のようなピンク色。
花びらとは違う、どちらかというと、ピンクのゴミ?
ピンク色の合皮のトートバック。崩れた壁面のように動くたびに地の茶色が出てきている。ロウがはげた蝋人形の顔のよう。
ベンチの床に落ちているピンクと茶色のポロポロしたカケラ。動かすたびに走る亀裂。何もしなくともポロポロとかけていくピンク色。
ああ、命が終わる。
知らぬ間にとっくに寿命を迎えていた「きみ」。
本日の教訓。
主人は二軍と思っていたけれども、とっくに引退しているケースもある。
知らぬは主人ばかりなり。
命短し。どんなものにも旬がある。
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