大切なのは、手話を覚えてもらうより、相手に私と話したいと思わせる事だ。
自分が素敵だなーと思った人が、たまたま外国人だったりろう者だったり。「この人のことをもっと知りたい!」と思えば、自ずとその人の第一言語を学びたくなる。
先日初めて手話カフェに参加した。
そこには、ろう者や聴者、手話通訳士など様々な方がいた。
私は難聴という特権があるので、他の参加者が私に色々質問してくれた。
「いつから耳が聞こえなくなったの?」
「学校はろう学校?」
「どうして補聴器を外したの?」
「運転はどうしているの?」
など。
それはそれで嬉しいのだけれど、もし私が聞こえる人だったら、果たしてどれだけの人が『私』という人間に興味を持ってくれるのだろうと、ふと考えてしまう。
「聴こえても聴こえなくても、結局はその人に興味があるかどうかだよね。」
ある時友人がそう言って、ドキッとした事がある。
私の魅力って、何だろう。
どうしたら素敵なオーラを発している女性になれるかな。
聴こえないからと言って、内気になり自分の殻に閉じこもっていては、相手も気を遣ってしまい誰も私と話したいと思わないだろう。
それでは人生が楽しめなくてもったいない。
補聴器を外した生活をして気づいた事は、
「私、聴こえませんが何か(問題でもある)?」「私のこと外国人だと思って」ぐらいのスタンスで明るく堂々としていた方が、自分らしくいられるし
相手も遠慮せずに筆談やジェスチャーなど、いろんな方法で話しかけてくれる。
周りの人に、手話を無理やり覚えてもらうのではなく、
いかに私の魅力を感じてもらい、私と話したい!と思ってもらえるかが大切で、
コミュニケーション手段は伝われば何でもいいのだ。
補聴器をしないのは多少不便ではあるが、聞こえたふりをしたり、話の内容がわからないのにその場の雰囲気に合わせて愛想笑いしたりしなくなってきたので(少し癖が残っているが)以前より自然体でいられて、それなりに楽しめている。
手話もまだまだできないが、補聴器無しの生活でも意外と大丈夫だ。
周りの人々は昔より障害者への理解があるし、今の時代、音声文字変換などの機器も日々進化している。
雑音による肩こりや頭痛に悩まされていた身体も大分楽になったし、何より音のない世界も楽しいことがわかり、勇気を出して補聴器を外してみて本当に良かったと思っているこの頃です。