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デザイナーの一人語りNo.6「三日坊主なのは魂がそれを望んでいないから」

途中で挫折して続かないのは、魂がそれを望んでいないから。本当に好きな事というのは、諦めなくてはいけなくても、諦められないものなのです。自然と涙が出てきて、諦める方が辛いのです。

得意なことは、それしかなかった

私は美大受験の時に、親に凄く反対されました。父は「そもそも大学なんていかなくても良い」という考えでした。中学を出てすぐに親方のもとで丁稚奉公をして職人になった父には、大学進学の意味が分かりません。私は幼いときから両親から「勉強しろ」と言われたことが一度もありませんでした。そんな私が「大学へ行きたい」しかも「美大へ行きたい」と言うのです。一般の大学に比べて、とてつもなく学費がかかる訳です。

しかし、当時の私はどんなに反対されても諦めることができませんでした。諦めようとすると、涙がボロボロとあふれてくるのです。幼い頃から絵画やモノ作りが好きだった私は、学校での美術の授業が一番の生きがいでした。それ以外の科目には全く興味がありませんでしたし、暗記や計算力がすこぶる悪く、飲み込みも悪くて勉強があまりできず、美術以外の成績は最悪でした。

美術好きにとっては恵まれた環境

ありがたいことに、私は生涯を通して美術の先生には恵まれていました。それが、美術の道へ進む後押しにもなりました。中学生のときは「作品への向き合い方」という精神までも美術の先生に教えられました。

その教師は生徒の描いた作品でさえ、美術館に展示している絵画並みに大事に取り扱いました。教室の壁に美術の授業で描いた絵を貼るときも、生徒の作品が傷つかないように画びょうでは留めず、画用紙の裏側から粘着テープを貼って教室に展示していました。

中学校のすぐ裏に市立美術館があり、美術の授業の一環として校外学習に行くことがよくありましたが、生徒たちが展示の作品に近寄って見ようとすると「息を止めろ」「ハンカチで口を防げ」と美術の教師は厳しく指導していました。大事な絵画に、息や唾が飛ばないようにするためです。

高校進学後も美術の先生には恵まれ、放課後に個別で絵画の指導もしてもらいました。公立の高校でしたが、私の学年までは「文系」「理数系」「芸術系」の3通りのコースを選択することができました。もちろん、私は芸術コースを選びました。毎週、美術の授業が他のクラスよりも多くあるのです。その分、理数系の授業がほとんどありません。

これはとても有難いことです。私は理数系は特に不得意だったので、授業を受けなくて済むことに、当時とても感謝しました。美大の試験科目は、国語と英語のみで、あとは実技の試験(デッサン、水彩画)でしたので、私は高校生のときは英語と国語しか勉強をしませんでした。他の科目は授業で聞き流していました(;^ω^)。当然、私の成績は最下位で、学年テストは下から3番目の順位をとったことがあります。

受験のアドバイスもしてくれた美術教員(イメージ写真)

劣等生だった私が外資系コンサル会社へ

そんな劣等生だった私が、後に外資系のコンサルティング会社へ転職することになるなんて、当時は想像もしていませんでした。社員はみな優秀な方ばかりでした。しかし、社長は「俺には学力があるけれど、唯一できないのはデザインだけだ」だから「うちの会社に来て欲しい」と私に言ってくれました。

私は英語が全く話せなかったですが「英語の勉強は今さらしなくても良い」「能力的に無理だ」と彼は言いました。社長は「お互いの能力で補い合えば良い」という考えの持ち主でした。だから彼は誰かを採用するときは、営業が得意な人、IT関連に特化した人など、社員と同じような能力を持った人は採用しませんでした。

大学受験の時は両親に凄く反対されていたけれど、もし、あのとき美大進学を諦めていたら、底辺にいた私の学力では、コンサルティング会社には就職できなかったであろうと思います。「芸は身を助ける」とはまさにこの事でした。苦手なことがあっても、何か一つ得意なことがあれば、その能力を極めれば生きていけるのです。

二度の転職先でもインハウスデザイナーに(イメージ写真)

不得意より得意なことを伸ばす方が近道になる

人というのは、生まれ持った個性によって「得意」「不得意」があります。苦手なことをやるより、得意なことを伸ばす方が上達が断然早いです。もちろん、苦手なことにチャレンジすることは大事ですが、どう頑張っても無理そうな能力というのは、克服しようとしても、とてつもなく時間がかかってしまうのです。一方、得意なことというのは、それほど時間をかけずに上達して技術を磨き上げることができます。その技術が、苦手な部分をカバーしてくれるのです。

だから、私が教えている絵画教室では、生徒さんには得意な画材で好きな絵を描かせています。水彩画が得意なら水彩画で、色鉛筆が得意なら色鉛筆で、デジタルが得意ならiPadのタブレットで絵を描かせています。水彩画ではうまく描けなかったのに、iPadでの描画ソフトならプロ並みに描ける子供もいました。

絵画教室の風景(実際の様子)

生涯をかけても目指すゴールにたどり着けなそうなら、近道で行け

教える側としては、本当は絵画の基礎であるデッサンから教えたいのですが、大人クラスの生徒では80代の方もいるので、基礎から教えていては、彼らが生きている間に目標とする水彩画が描けない。そう思って、苦手なことからはやらせずに、生徒たちが「描きたい」と思うものを、好きな画材で描いてもらっています。もちろん、基礎を習いたいという意欲のある生徒には、基礎から教えています。

80歳を過ぎてから入会したある生徒さんは、終戦前に生まれたので子供の頃にあまり絵を描いたことがなかったようで技術は全くありませんが、毎回満足して帰っています。「描きたい」と思った絵や写真をいつも持ってきて、それを模写し、なんとか同じように描けるととても喜ぶのです。

子供クラスの生徒の親御さんの中には、子供の意向とは反して「水彩画を描かせたい」と言ってくる方もいます。しかし、やる気のない子供に水彩画を描かせても、早く仕上げたいからと乱暴に描いてしまうのです。上手に描こうという意欲が沸いてこないから、すぐに飽きてしまいます。本心からやりたいと思えることでないと、人というのは続かないのです。

三日坊主になるのは、怠けているからではない

つまり、三日坊主になってしまうのは、心の底からやりたいと思っていないからなのです。自分の魂が望んでいないから活力がが沸いてこないのであって、決して怠けている訳ではありません。みなさんも、心当たりはありませんか?

私は料理をするのが不得意で苦痛です。夕飯の時間になると、なかなか重い腰が上がりません。料理をする時間があったら、仕事をしていたいくらいです。しかし、世の中には料理が好きで、パンやスイーツを作ったりするのが趣味だと言っている方もいます。私からすると考えられないことです。何がいったい楽しいのか??不思議でなりません。

つまり、人の趣味趣向というのは皆それぞれでなのです。何を生きがいに感じるかは、人によって異なるので、自分自身に問いかけてみないと、本当に「自分が望んでいること」というのが見えてこないのです。みなさんも、三日坊主になってしまったら、ご自分の心の声に耳を傾けてみてください。

魂からの声に気が付きますように
島津寿制作/デザイナー

(次回もぜひデザイナーの一人語りをご覧ください)



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