「めでたし、めでたし。」とは、ならない。
今朝のこと、
いとこのおばさん、自宅で転んだ。
部屋を整理しようとして、多分ちょっと無理な体制になったんだろうなぁ。尻餅をつくようにして転んで、大腿骨の辺りを激しく打ち付けた。
骨折はしていなかったんだけど、出血があったようで。血液をサラサラにするための薬を飲んでいたせいで出血が止まらず、救急車を呼んだ。
市民病院に運ばれて、あれやこれやで3週間の入院。今朝のことなので詳しくは聞けていない。
大腿骨を骨折してしまったら、後期高齢者のおばさんはもう完治は難しいだろう。不幸中の幸いとはこのことだと思う。
大事に至らなくてよかった。
めでたし、めでたし。
とは、
ならない。
おばさんにはパーキンソン病・要介護3・軽度認知症の旦那がいる。老老介護世帯で、おばさんは主介護者なのである。
転倒し出血をしながら、真っ先に考えたことは「おじさんの介護」のことだろう。
「自分が入院して留守になったら、一体だれがおじさんの面倒を観るのか」すぐ息子に連絡し、ケアマネジャーに連絡をとったはず。
おじさんは徘徊する。自宅で数えきれないくらい転倒している。1日6回の服薬がある。夜間失禁がある。
団塊の世代の男性は、男は仕事、女は家のことといった価値観が根強くあって、おじさんは身の回りのことを全ておばさんに任せてきた。
とてもじゃないが、ひとりで生活できない。だからこその要介護なんだけども。
今回は、受け入れ先のショートステイがすぐに見つかったようだ。
これでなんとか落ち着いたかな。
めでたし、めでたし。
とは、
ならない。
おばさんは時間が過ぎれば順調に回復するだろう。しかしおじさんは、3週間のショートステイ。長期滞在・急激な環境の変化で、認知症状が進んでしまう可能性が高い。
デイサービスの利用者さんでもそうだが、施設を2箇所使いしていたり、短期間で施設をあちこち変えたりすると、環境の変化に対応しきれなくなって混乱する。
考えてもみてほしい。毎日違う会社へ行っているようなもの。短期間で転職しているようなもの。人の顔も名前も覚えられないし、居場所や時間感覚がわからなくなって当然じゃないだろうか。
ましてや認知症があって、自宅を忘れてしまったり妻の顔がわからなくなってしまったりするおじさんにとって、3週間正気を保てというほうが無理な注文ではないだろうか。もちろん妻の怪我の心配もある。
ただ、今回は、
ショートステイに行ってもらうしかない。
息子は近くに住んでいるが、在宅介護をできる体制にない。体制のないまま受け入れるぐらいならプロに頼んだ方がいい。状況がもっと悪くなる可能性がある。
さて、おばさんとおじさんが無事に自宅に帰った時。
どれだけ今までの生活が維持できるだろうか。これが今後の課題になってくる。
息子と一緒に住めばいい。なんて簡単に考えて解決できるならとっくにそうしている。
「息子の世話にはなりたくない。迷惑をかけたくない」と言って、おばさん夫婦は老後の資金を使って古びたマンションを買ったのだ。
人生とか生活とか家族とか価値観って、そう簡単まとまるものではないのです。
ぼくはというと、血のつながった身内である以上。いつでも動ける準備をしておこうと思う。
見守りと応援。できることはただそれだけなのかもしれないけど、
そうやって支え合っていくしかないだろうと。
そういう想いでいる。
ああ「そういう時間に近づいてるのねぇ」と、時の流れを感じざるを得ないっす。