暇なお爺と忙しいお婆
「もうなんもやることあれへん。生きとってもしゃーない」
まぁ、介護施設では利用者さんからよく聞く言葉なんですけどね。
いつもなら「人間そんな簡単に死なへんからなぁ〜」と冗談混じりに受け流すんですがね。
間違っても真面目には返さないです。「そうだよね、生きるのって辛いよね。大変だよね。(ギュ!)」
いかんいかんこんなもん、二人で海に向かって歩を進める手前やがな。ちゅーて。
まともに返したって、答えなんかないんですよ。だって「人間ってなんのために生きるのですか?」って聞かれてるようなもんでしょう。哲学ですか?
それならぼくなんかより、六本木にいるパーティーピーポーに話した方がいいですよね。
「今が楽しけりゃいいっしょ!フォー!」つって、悩みを吹き飛ばしてもらったりなんかして。
だけどね、そんなお爺を尻目にね、デイサービスに来ることをそりゃぁもう、楽しみにしているお婆もいるわけですよ。
もう、朝から大忙しでね。
「もう、忙し、忙し。はぁ疲れた。今日もありがとねぇ〜。楽しかったよー!」
早朝5時に起きて(寝れなくて目が覚めただけ)化粧をして洋服に着替えて、満を持してデイサービスに来るお婆。デイサービスで入浴するもんだから、夕方すっぴんジャージで帰るんだけども。
うーん。
この両者は、なにが違うのだろうって、その日は妙に気になってね。
ちょっと考えてみたんですけどね。
そのお爺とお婆の比較でしかないから、一般論には程遠い独自の偏見に満ちた純情な感情の見解なんですけどね。
まず、お爺。
ギャンブル・酒・女性・タバコが好き。デイサービスには麻雀しにきていて、むしろ麻雀以外はずっとベットで寝ている。独居。
そして、お婆。
デイサービスの皿洗い・洗濯物などの家事全般を率先して行う。手芸や工作も一生懸命。ずっと動いている。家族と同居。
基本情報としては少ないデータですけど。ひさし(ぼく)コンピューターが弾き出した分析結果はですね。
「自分のことは、さておき」です。
「さておき」。これは高齢者においてとても重要なキーワードではないかと思うんですね。
つまりお爺は、自分の楽しみだけを追求して生きてきた結果、他人に対する関わり方が身についていなくてですね、高齢者になってできないことが増えていくと、同時にやることがなくなってしまうのではないか。仕事がないんですね。
一方でお婆は、誰かの役に立とうと「自分のことはさておいて」貢献したり、相手の喜ぶことを探そうとしているんですね。要するに仕事を自分で見つけてくるってこと。もうね、ひなどり。
女性に働き者が多いのも、子育てとか家事とか、潜在的にこの「さておき精神」があるからじゃないかなって。
団塊の世代に限った特徴かもしれないですけどね。男は仕事・女は家のことみたいな精神性が根強くありますから。
「ちょっと、洗濯物畳んでもらえると助かるんですけど〜」
「男はなぁ。そんなことはやらん」って言われたことありますしね。
「これアンタのパンツじゃない?自分で畳みなさい!」って強お婆に叱られて、うつむきながらパンツを畳んでいたお爺がいたけどね。
「自分のことはさておき、あなたはどうなの?大丈夫?」っていう人って、自分のためだけに生きていないから仕事がなくならないんじゃないかな。
そう、誰かのために生きることが暇を持て余さない秘訣なのかもね。
さておき、
なんもやることないって、いちばんしんどいかもしれんなぁ〜。
でも、誰かに与えてもらうものでもないし、自分で探していかなしゃーないですよね。人生勉強ですね。
まぁとりあえず、お爺は散歩に誘っておきましたよ。
「寝るのは家でもできるっしょ!ぼくの話聞いてよ〜」つって。
介護は大変。介護職はキツイ。そんなネガティブなイメージを覆したいと思っています。介護職は人間的成長ができるクリエイティブで素晴らしい仕事です。家族介護者の方も支援していけるように、この活動を応援してください!よろしくお願いいたします。