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まずは耳を傾けよう
本来、大変なのは要介護者本人であって、
介護者は要介護者を支援する立場だということを、置いてきぼりにしてはいないだろうか。
体が言うことをきかない、ちょっとしたことで息切れをする、複雑なことが理解できなくなってきた、自分は一体どこにいるのだろうか、目の前のあなたは一体誰なのか。
日常動作に不自由を感じるのも日常生活に不便を感じているのも、介護を必要としているその人本人であって、支援者の苦労ではない。
けれど、介護を語る人はその本人ではなくて、介護をしている支援者の意見がほとんど。
いつの間にか支援者が優位な立場になり、支援する側の視点で勝手なことを好き勝手語ってしまう。良いこともそして悪いことも。
支援者は我慢をして耐えればいいと言っているわけではない。
だが、まずは要介護者の声や想いに耳を傾けることが本来あるべき姿だろうと思う。
介護の仕事をしていても、いつしか傲慢で独りよがりな考えになってしまう。
「いついつまでに、これとあれをしなくちゃ」
「こうしておいた方がいいよね」
「〇〇やっといたよ!」
支援者側の人は、気持ちの折り合いがつかないことも多い。感情の向ける先がないこともある。本人の要求に応えてあげられないこともある。
「新しい嫁が欲しいんだけど」
なんて言われても、どうしようもないし。
「ここにはアルコールは置いてないんか?」
そう言われても、そもそも足元フラフラやがな。って。
でも、誰しもが逆の立場、要介護者になる可能性を持たされていて、
「こんなことになるなんて思ってもみなかった」と、
不自由は生活を強いられてはじめて、人は気がつくのではないだろうか。
暗く辛い現実を突きつけられ、ゴールの見えない真っ暗闇を進めと強制的に歩みを進められ、
心細い中、
そんなとき、自分の声を聞いてくれる人が誰もいなかったとしたら、
決定権を奪われ、管理され、萎縮するような声を浴びせられたら。
どうして、生きていけるといえるのだろうか。
ぼくは犯罪を犯したこともないし、独房にブチ込まれたこともないのだけど、もしかしたらそんな状況・感情なのかもしれない。いろんなことが駆け巡って、きっと寝れない。
・・・
昨日、半年ぶりにデイサービスに復帰された方がいた。
ご家族が介護の限界を感じてしまって、施設入所を決めて、それからデイサービスに来なくなった。
もちろん、本人の希望で施設入所を決めたわけではない。その人本人に、判断能力も決定する能力も残されていない。
正解なんてないのだけど、
身近な人しか、側にいた人しか、
その人の歴史や生活、あの頃を知る人はいない。
紙切れ一枚で共有される個人情報で、その人の世界を再現したり孤独を埋めることなんてできるのだろうか。
近づきたいし努力はする。でも、代わりになる温かさや安心感は身につけることができない。
安心して帰る場所があるから、冒険に出かけようと思える。
あと、どれだけ一緒にいたいか、
あと、どれだけ同じ時間を共有したいか、
今まで、どれだけ愛してきたか。
結局、介護者が握っているのだと思う。何もかも。
だからこそ、今一緒にいることを、尊いと思えるように、
まずは相手の声を聞こうと思う。それから自分はどうあるべきかを考えて決めていこうと思う。
その想いは、きっと伝わっていると思うから。
諦めないでいこうと思う。
支援者への要求も、支援者への感謝や愛情も。聞こえてくるはずさ。
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