介護職員が「ため息」のでる瞬間
「〇〇さん、自宅で転倒して骨折だそうです。しばらく入院です」
ぼくが介護の仕事していて、ため息の出る瞬間かなぁ。
もう、せっかくいい感じで運動できるようになってきたのにっ!。って。むしろいい感じで運動していたからこそ引き寄せた骨折なのかもしれないけども。ジ・レ・ン・マだよね。なんか、キマグレンみたいやな(なにがや)。
コロナもそうかなぁ。「コロナ陽性で一週間お休みです〜」も、ため息でるかなぁ。
まだまだ高齢者施設ではまだまだ猛威を振るっていてさ。怖いのはね、コロナで熱が上がることじゃなくて、療養期間中に体力が低下していくことなのよ。そのまま体力が戻らず、下降の一途たどるケースは少なくないのね。
生活していたら起こり得ることで、ましてや自宅で起きたことだから仕方ないのだけど。
自宅での骨折に関してはさ、
夜中トイレに行こうとして、が多いかな。
もう、せめて朝がくるまで我慢できないかなぁ。部屋が明るくなってから動こうよ。って。無理だわな。ひとりバイオハザード開始。
でもね、ため息はでるものの。考え方を変えるとさ、
転倒したってことは、
チャレンジした証だ。
小さい頃から言われてたよね。
「失敗することを恐れるな。失敗しないことを恐れなさい」って。
そう、果敢にもひとりトイレに挑戦したわけだ。
それはさ、とどのつまりSASUKE(サスケ)じゃねーか。って思うわけよ。
山田勝己と、いったい何が違うというのだ。会社を辞め、自宅にそり立つ壁をつくりパイプスライダーを作る山田勝己と何が違うのだ。
挑戦という意味(だけ)では一緒じゃないか。
山田勝己は高齢者になったとき、きっとどんなに骨折しようが擦り傷を作ろうが全身アザだらけになろうが、夜中ひとりでトイレに行こうとするはず。這ってでも寝床というファーストステージを攻略し、セカンドステージの居間をかいくぐって、ファイナルステージのトイレに辿り着くことを諦めない。
制覇できたかどうかなんて関係ない。「あくなき挑戦」。挑戦することに意味がありそれが人生であり生きている証なのだから。
家族に止められようがケアマネに注意されようが訪問看護と介護士のヤジは声援に変えて、夜中ひとりでトイレにいくはず。
山田勝己はそう、ミスターSASUKE(サスケ)なのだから。
転倒する高齢者と山田勝己。まったくの同義。
挑戦という意味(だけ)で言えばね。乱暴な論理オンリーロンリー。
ため息ばかりついてはいらんないよ。ぼくは。
そうだ!そうだよ!
その通りだよ!
デイサービスでデイサービスSASUKE(サスケ)を用意して待つこと。それがぼくにできる最大限のエールではないかってことよ。
がっかりしないで、
落ち込まないで。
だけど、痛いのは嫌だろうから。
苦しいのは辛いだろうから。
転ばないように、
もらわないように、気をつけようね。
つーこと。