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これ、どう伝わってるんだろ?
どうも〜。暑いより寒いの方が苦手な「ひさし」というものなんですけども、
デイサービスで介護職員をしておりまして、頑張っていかなかんなぁ〜いうとりますけども。
さて、
「だぁ〜れだ!」
つって、街中で急に後ろから目隠しされたらビックリしますよね。
待ち合わせている相手がいるならともかく、そんな約束は一切していなくてですよ。もう、ホラーですよね。
しかも「わたしだよ!わ・た・し」と正面に回られて自己紹介されても、誰だか全くわからない。
認知症の方に後ろから声をかけることは、大袈裟にいうとこういうことです。
椅子に座っている高齢者に、介護者が立ったまま話しかけること。これは、進撃の巨人が大きな口を開けて見下ろしているようなことかもしれませんし、
自分で椅子から立ち上がることができるのに、介護者がズボンの後ろを持って引っ張りながら抱えて移乗することは、力士が土俵際で「うっちゃられる」感覚なのかもしれないし、
自分のペースで食べられない食事介助は、「わんこそばもう食えまへん」ってお椀に蓋をしてるのに、口にダイレクトのそばを運んでいるような拷問に近いのかもしれないし、
トイレで「いっぱい出ましたねぇ」と、介護者に排泄物の感想を言葉にして言われることは、ちょっとした言い間違い、たとえば「コチジャン」を「コジャン」と言い間違えるぼくの母親みたいに、指摘されなければ感じることのなかった辱めを受けているような、そんな心のアンニュイな部分を刺激しているのかもしれませんし、
要はですね。
「これってどう思ってんのやろ?」
「これってどう伝わってるんだろ?」
と、自分を疑うことを定期的にした方がいいのではないかということが言いたいんですね。介護はとくに。
知識だけ頭でっかちになると、
人って言いたくなりますから、ひけらかしたくなりますから。
でも実際は、相手にとって「心地いいか」が基準であって、勤勉さ・知ってることが邪魔することもあるんですねぇ。法とか制度とかは別ですが。
気をつけねばと、自戒の念を込めたnoteでございました。
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