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チームや組織がまとまらないのは管理職のせいじゃない

「あの人のケア、ちょっとやりすぎじゃないですか?」

「ぼくはこうしてるんですが、あのひとはああしてるんですよね、あれどうなんですか?」

介護の現場で働いていると、人によってケアの仕方が十人十色です。

そこまではせんでええやろぉ〜。チッチキチィ〜。

それはせなアカンやろぉ〜。ゆうてますけどぉ〜。

みたいな。どないやねん。

よく捉えれば「それぞれ個性があって、いい介護ができていますね」で、団体アイドルみたいな感じかな。

悪く言えば「統一感がない、ムラのある介護ですね」で、暖簾分けしたラーメン屋みたいな。

例えにバラつきがありますね。すみません。

ぼくはどう思っているのかというと、

「価値観を共有した上で個性は発揮するもんでしょう」と思うわけです。

不憫でなりません。チームに団結力・結束力がないことは、だいたい管理職やリーダーがお叱りを受けることになります。
逆にチームをまとめ上げれば、その人の実績になりカリスマと高飛車を手にするわけですが、

しかしながら介護現場って、老若男女・他職種経験者・未経験者・パート・派遣など、いろんな人が混じり合っている魔女のスープみたな世界なので、ひとつの方向へ顔を向けさせることが簡単ではないんですよね。

AIに指示してもらった方が楽なんですかね。否。そこは最後のフロンティアでありサンクチュアリ。お払い箱になる前に、我々は知恵を絞らなくてはなりません。

そこで、ぼくはですね。

過去の経験を思い出しました。

前職で会社のスローガンを作ったことがあります。

言葉によって方向を指し示すことって大事だと思っていて。

たとえば、うちの施設(架空)のスローガンは、

「”徹底した居心地つくりの追求”です。このスローガンに従っている行動であれば自分で判断して構いません」と、ひとつの価値観を提示したとします。

形骸化された経営理念ほど、台形の面積を求めるくらい意味がありません。

ならば耳が自然に餃子になるくらい、現場のスローガンを効かせまくったほうがいいではないですか。

ちなみに前職は、スローガンを刷新したことで組織がまとまりだしました。ひとつの基準・価値観ができたことで、はみ出している行動が目立つようになったのです。腐ったミカンはぼくでした。へへっ!

徹底した居心地つくりの追求

職員がイライラしていたらダメですよね。言葉遣いが汚かったらダメですよね。

「どこいくの?座ってて!」は?なんでどっか行ったらいけないの?行動を制限されることって居心地がいいか?

うんこ出たねぇ〜」って、利用者さんに向かって言うのって、どやろ?

基準から外れている行動や発言が、違和感として浮き彫りになってきます。二郎系ラーメンで言えばどんぶりの外へこぼれ落ちるキャベツです。

では、逆に、

徹底した居心地の悪さを追求しようでは?

不平不満・愚痴悪口しか言ってはいけない。とか、

下から上に、舐めるように利用者さんを観る。とか、

ナースコールを無視し続ける。とか、

排泄があっても手間がかかるのでそのままにして帰りのトイレ介助一発で済ませる。とか、

ずっと施設長が仁王立ちしてフロアにいる。とか、

渋谷交差点の巨大液晶モニターで施設の様子がパブリリックビューイングで中継されている。とか、

利用者さんの数より、介護スタッフの方が多い。とか、

ああ、考えるだけで嫌になってくる。

結局ね、人って、言葉の領域展開からは抜け出せないのよね。

だったら、いい言葉に囲まれていた方がいいんでない?

そうそう、そんなこんなをひっくるめて、
コンセプトって言ったりする。

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介護エッセイ元お笑い芸人@のざき寿(ひさし)
介護は大変。介護職はキツイ。そんなネガティブなイメージを覆したいと思っています。介護職は人間的成長ができるクリエイティブで素晴らしい仕事です。家族介護者の方も支援していけるように、この活動を応援してください!よろしくお願いいたします。