北鎌倉 円覚寺にて
北鎌倉の駅を降りて、すぐに見えます。
たまに見張り番のねこがゴロゴロしたりしています。
ここではだいぶ長いこと坐っていました。
そう、坐禅です。
坐って何か変わったのかと言われれば、何も変わっていない。。ように見える。
そりゃ坐ってるだけなんだから。。
しかし変わったことがある。
坐という字は、己と真の己が向き合い、土の上で語らっている様子を現した漢字だと、ある時教えてくれた人がいた。
何もすることがない。
黙って坐る。
痺れる。
かゆい。
蚊がいる。
暑い。
寒い。
お腹減った。
夕飯何にしよう。
あ、論文原稿書かないと。
あの本どこいったかな?
そんなことをぐるぐると考えて
しまった。。と
また坐るということに戻る。
そんな自分がいることに気づく。
こんなに頭の中は騒がしかったっけ?
人間の思考は連続しながら、連想ゲームのように瞬く間に変化していく。止まることがなく、この瞬間にもあらゆる言葉が頭を駆け巡る。
この止まることがない思考逃れを丹念に観察していると、その速さは尋常ではない。
試しに
「5分、坐るということだけに集中してください」と言われて、何も他のことを考えないで坐れる人などあまりいないのではないか。
変わったことといえば、この「心猿」とも称される頭の中の騒がしさを意識することになったことだろう。
心は万境に従って転ず
この瞬間、すでにわたしは、
夕飯の準備の中身を考えたりしている。
落ち着きないことこの上ない。
無理に止めようとしても止まらない。
逆に何かに自然に集中していると、そのことしか考えない。そこに全身全霊を傾けて楽しむ。
わたしは、押さえ込むことをしてきたが、
ある時全身全霊をかけてやることにした。
その時意識したのは
「人のために」
ということ。
誰かのために何かをすることは
手を抜きにくい。
まず、好きであることをする。
工夫もする。
どんどんクオリティが上がる。
評価してもらえる。
さらに好きになる。
頭を絞ってさらにクオリティが上がる。
そんなこんなで大きな変化は起きた。
生活が大きく変わった。
そんなこともある。
そんな話でした。
ではまた。
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