【生活は患い】鍵の外は豹変していた。日常はニートのままであった。

 お久しぶりです。
6月20日に閉鎖病棟から退院してきまして、2ヶ月が経ちました。大学院も夏休みに入り、3週間ほど経ちました。

 僕の生活は、授業がなければただのニートだ。その授業も、5月から2ヶ月と1週間だけ全てオンラインで行われ、内1ヶ月は病室のベッドの上だった。
 未だ流行病の名に触れることに抵抗がある。恐れているのではなくて、それに係る情報と世間の関心が僕を夏の暑さのようにジリジリと焦がしていくからだ。今は感染者数を聞くことには慣れた。
 幸いにもバイト先は復帰を快く受け入れてくれた。何も変わらない。日常が待っていてくれた。

 ただ前から苦手だったことが完全に出来なくなってしまった。それは〈社会に生きること〉
一日の生活時間もままならず、酷い時には体も動かせなくて「集中」ができない。文字を追うことも、アニメや映画などの映像を追うことも、億劫になって、どこか「楽しい」「楽しむ」という感情が欠落している。
 大きいのは、プライベートの人との繋がりが途切れてしまった事だ。誰かと話をする。誰かと近場に出かける。会う気力が起きない。怖い。

 週末、「家族団欒」にかこつけて映画を2本見るようになった。まだ「見る」だけれど、舞台や映画館に行っていた頃のように「観る」ができるようになればいいと思う。
 一人でいる時は、研究について頭を向ける時以外、既に観て大好きなアニメを流すようにしている。終わりを把握しているから、安心して「集中して観る」「音に慣れる」ができる。

 訓練だ。社会とコネクトして生きていけるようにするための。
 相変わらずシフトを10時-19時にすれば翌日体調を崩して寝込むし、気張って家事をやれば寝ることを忘れるし、人間になるのは難しいけれど、
また、小説を書き始めることができるようになり、論文を少しかけるようになり、
そして今日は、オフ会に出かけてみることにする(注)。

夏は活動的な季節、とは僕にも当てはまるのかもしれない。

生き急がない夏をあと3年は続けさせてもらおうか。

(注)執筆時、8月20日。その後扁桃炎のため更新できず。

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月詠家
「ことば」で遊ぶ人。 エッセイ、作品、公開しています。 会も作りたいです。