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考えを試す「試考作文」

ことばの泉 作文研究室で20年間ずっと取り組んできたことは、「考えを試すこと」「表現を試すこと」「自分を試すこと」。すらすら正しく書くことが目的ではなかった。正しく・すらすら・たくさん書けたら自信はつくかもしれない。しかし、「書く」にはもっと、人の内面を深める作用がある。だから単に「教科」としての作文指導をするのはやめよう、と決めていた。

「作文は量より質」。開設当初から何度も皆に言ってきたことだ。たった3行でも、あるいは一文だけでも、そこにその人の「挑んだ表現」があればいい、と言ってきた。一行も書かなかった人もいた。それでもその時間、皆の言葉に耳を傾け、なんとか言葉を見つけようとその子が試みていたのは間違いなかった。だから私はどんな文章にも花丸をつけられた。ご機嫌取りの丸ではない。どんな文章にも、考えを飛躍できていたり、本質を言い当てられたりしているところがある。その部分には心の底から「いいなあ!」と言えた。それが正解を定めていない「作文」の魅力だ。

研究室の講座で皆に取り組んでもらう作文を「試考作文」と名付けることにした。文字通り、考えを試す作文である。考えを試す、ということは、ものの見方を試しに変えてみる、ということでもある。視座を変える、と言ってもいい。そうすれば一面的にしか見てこなかったことが、多面的に捉えられるようになる。

「多面的」に見るのだ。「よい結論」につながる面だけを見るのではない。「良い」は簡単に「悪い」にひっくり返る。逆もしかり。だから見方を試しながら、自分が基盤としているものの正体を見つめていく。形を整えて書くことより、深く問うこと、多角的に考えること、それを表現する方法を試すこと、そういうことへの時間を皆と過ごしてきた。思考力を伸ばすための、急がば回れの道が、私にとっては「試考作文」だった。それは20年経っても変わらない。

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