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腹のマグマから

上田市海野町商店街の犀の角で

別役実の戯曲が上演された

「部屋」

1985年の作品

母は18歳から34歳まで

父は18歳から29歳まで

私が生まれるその年まで

青年時代を別役実の不条理劇に明け暮れた(らしい)

70を過ぎた今も

捨てずにとってあった40年前の本たちを

犀の角に寄贈した

そんな縁もあり

10月1日に上演された「部屋」のアフタートークに出させてもらった


この日は、15時と19時の上演

2回とも観劇した

15時からの回は

芝居として 作品として

どう捉えるかというような

演劇のことを何も知らないのにそんな構えで行ったもんだから

全然わからなかった

言葉が出てこなくて

参った


ツルヤでぬか漬けを買って

翌日出店準備をしていた友人の店に行って洗って食べた

胡瓜と大根

ぬか漬けは沁みる

この日は、朝から出かけた先で色々な人の色々な話を聞いた後だったので

疲れ果てていた

アフタートーク出られるんだろうか

どこか山にでも逃げようか

そんなことも考えながら

再び犀の角へ向かった


19時開演

今度は、舞台の上の女性の語りに耳を澄ませ、全身で聴くようにしてそこに居た

この人が視てる世界を感じたいとそう願いながら

日々、誰かの声を聴く時のように

すると 1時間があっという間に過ぎた

気づいたらトークの時間で

犀の角の荒井さんが客席の後ろにいて

よろしくおねがいします

と消え入るような声で微笑んでいた


舞台にいた俳優の二人は

普段着に着替えていて

犀の角のゲストハウスで挨拶した時の感じだった

舞台にいるときとは別の人のようだった


アフタートーク

自己紹介と感じたことを


以前、かかわった2人の人を思い出したという話をした

1人は、20年ほど入院していて、離婚した妻が迎えに来るからと

私の提案する退院先に関心を示さなかった男性

彼が言う番地を頼りに妻の家を探しに車で走り回ったこと

彼のなかで迎えに来るはずの妻がいる家

たしかにあるはずの家

それを一緒に探す振りをして

そんな家はないというこちら側の現実を直面化させようとした私の暴力

結局、家は見つからず、「おかしいなぁ」と首を傾げた彼を乗せて病院へ帰った

確かなはずのものを確かなはずのままに

なにが本当か なにが確かか わからないままに


もう1人は、直面化して亡くなった方のことだった

詳しくは話さなかったけれど

母親が亡くなって

遺体が腐っていくなかで

同居を続けた女性のこと

入院して退院した先には母親はいなくて

孤独だと知った彼女は自死を選んだ


その2人を思い出しながら観ました と

俳優2人に伝えた


彼らは、言った


別役実の戯曲は

言葉だけが確かなもので

他に確かなものがない

ここ(舞台)に居るときだけは

(言葉があるから)どう居ていいか居方がわかる


私もそうだ

精神科にかかっている人たちといるときだけは

どう居ていいか居方がわかる(気がする)


そして

俳優は、確かな言葉になにかを探す

私は、目の前の人の腹の底にあるマグマから鉱石のようなものの欠片がポロッと出てきたとき

からだが蠢く

私の腹の底の鉱石が反応する

そこに微かに生を感じる

そんなことを話しながら

別役実の童話の中の言語のない民族「そよそよ族」の話

その中に出てくる鯨の話

中学生の時に別役実の童話を読んで、初めて救われたと感じたことなど

色々な話をしてくれた

俳優2人の話が面白くて、からだ中の穴すべてがカッと開くようだった

そんな時間だった


翌日、母親にこの夜の話をしたら

私たちも初めて読んだのはそよそよ族だったと言っていた


そよそよ族、出会いたくてたまらない

開けないようにしていた扉が開いてしまったかもしれない


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