ファッションの影響力について。マイルドな自己主張が、マウンティング抑止力に!?
徹底的ないじめは別として、ちょっと気に入らない相手に意地悪をしたり軽く扱う心理は、道に落ちている空き缶を蹴ることで得られる、一瞬のスッキリ感みたいなものを求めてのことなんじゃないだろうか、と最近思います。
落ちているものが例えば家電製品みたいに重いものだったら足を痛めるから蹴らないし、可愛いぬいぐるみだったら罪悪感が湧くけれど、何の害もないゴミである空き缶ならいいか、みたいな。
当然相手が悪いと思うし、反面教師にするしかないと思いつつ、相手に空き缶だと思われないような抑止力って、中にはあるのでは。
例えば、黒いマスクをするといちゃもんをつけられにくい、という場合などが当てはまるのではと思うようになりました。
軽く扱われないようにするための行動とその効果
以前、どうも複数の人から軽く雑に扱われる、なめられやすいと感じ、自分の習慣や行動を変えたところ、劇的に効果を実感しました。
初対面で人と会う時に、一対一の場合は、相手がちょっと背筋を正すようなそぶりがあったり、グループの場合、その場の空気がちょっと変わるような感覚があって、以前はこんなことはなかったので、結果が出ていることを実感しています。
姿勢に気を付ける、語尾を曖昧にしない、アサーションなどなどを試みてきたのですが、これらを続けるうちに、自分はこうありたい、こんなふうに生きたいという意思が強くなって、それが目力やマイルドな迫力になって醸し出されるようになり、さらに強化されたのでは、と思っています。
ファッションは自己表現、の意味
ここ3~4年で、自分のファッションの傾向が随分固まり馴染んできたなぁ、と感じているのですが、それも要因として大きいのかも、と最近思い始めています。
ハイブランドを着ている訳でもなく、トレンドを押さえている訳でもないのに、オシャレですねと言われたり、自分に似合う服を分かってますねと褒められたりということが増えたのですが、以前では考えられないことなので、自分を変えるって可能だな、と改めて強く思います。
以前は、とにかく変な恰好をしていないかばかりに気を配り洋服を選んでいたので、無難と言われる黒茶一辺倒や、今の流行りとなっているものを遠慮がちにちょっと足しつつ、オドオドしながら着ていたという状態でした。
他人の顔色を伺い許可を求めるような心の姿勢って、自分のオーラに出るんだろうなと思います。
オシャレだと感じる人はどんな人だろうか?
オシャレだと感じる人はどんな人だろうかと考えてみると、トレンドを押さえている人という答えもありますが、そのファッションを自分のものとして取り込めているかどうか、が鍵ではないかと個人的に思います。
モデルさんでも、着た時に、服が体と一体となって訴えかけてくるようで勢いを感じる人と、単にオシャレと言われる組み合わせを着ているだけで、中身の強さが伴っておらず服に負けて、着られている感を感じる人がいます。
一流のモデルさんが独特の存在感を放つのは、ある意味、服じゃなく自分が主役だと、着ている洋服をねじ伏せるような力があるからだろうなと。
与えられた洋服を小道具として、自己表現を確立しているからなのではと思います。
以前、元アパレル関係の友人が熱弁していた意味はこういうことだったのかなと、ファッションの影響力のほんの一端が、やっと分かった気がします笑。
ファッションが下手な人は意識が低いとか、その興味の有無がどうこうではなくて。ファッションが、相手に与える印象を左右する強力なツールになり得るという、その可能性について、改めて認識したという話です。
ファッションから伝わるメッセージとは?
何を着るかということよりも寧ろ、”私は自分で組み合わせを考えています”、”自分で選んでこれが良いと思って着ています”、という静かな自己主張が、オシャレだと思わせる部分も大きいような気がします。
また、適当にその辺の服を着たのではなく、きちんと合わせて着ていますと分かることで、自分に気を配り自身を丁寧に扱っている、というメッセージが伝わることも大きいのかなと。
雑に扱われにくい、なめられなくなった理由には、私は自分自身のことをきちんとケアしており、何をやっているか分かっています、何事もしっかり判断できる人間ですという自信が伝わって、こいつにちょっかいを出すと反撃されて面倒なことになりそう、という抑止力が働くからではと思います。
アサーティブになるのが苦手、自分に非があるとすぐに思い込んでしまう癖がまだまだあり、改善途上なんですが、結果を実感しているので、楽しんで続けられそうです。
どんどん変革して、その変化も逐一しっかり感じ取っていきたいと思います。
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