繋げた命、75年。 何を感じて生きていたのか。遠い昔に感じるあなたに思いを馳せる。 繋がった命、75年。 物は豊で、心は乏しい。遠い未来は考えられない。 まだ、枯れていない。まだ、枯れていない。 そんな心に水をやろう。 生きていることを感じられるように、恥じることなく生きられるように。 枯れないように水をやろう。 綺麗な花は咲かなくとも。命が繋がり咲く時を信じて。 枯れないように水をやろう。 生きていることを感じられるように。
遠い国の悲惨なニュースを動画や画像で見てみても、 どこか他人事な心があることに多くの人は気づかない。 言葉でどれだけ訴えかけても変えられない世界がある。 それでも言葉にせずにはいられない。 心からそう思っているから。 言葉は人を傷つける剣や銃になるし、人を優しく包む繭にも頑丈なシェルターにもなる。 形がないようで『何にでもなれる』という形を持っている。 今日、この日を生きている人の言葉が、 できることなら人を傷つけることのない優しさに満ち溢れていますように。 今も昔も変
肺が潰れてしまいそうになるほど叫んだ言葉は、過酷な地球の旅に出る。 世界を周ることは生半可なことではなく、時には拒絶され、行き場を失い、死さえ感じる瞬間もある。でも、そうした過酷な旅の先にただ一人、届くのならばそれで充分。 受け取ってくれて『ありがとう』これだけで生きていく意味がある。
休日の夕方は時間の流れが変わっている。どこか哀愁を漂わせ、どことなく安らぎを覚える時間。 携帯から流れるピアノの音に迷いだらけの心が反応して、目頭が熱くなる。 この時間が永久に続けばいいのになんて、ありえないと分かっていることを願ってしまう。 遠くで響く5時のチャイム。夕方の終わりを告げる。 遠くで響く5時のチャイム。現実と夢の狭間の音。
濡れたアスファルトをスキップして陽の光が眼に届く。 眩しくて上を向いたら綺麗な青空で、 思わず見惚れている間に段々視界がぼやけていく。 晴れた空に雨2つ。狐の嫁入り雨2つ。
苦い味した焦りの感情。 甘ったれた現実と相まって無味無臭と化す。
叫び、喚く。 伝われ!伝われ!この焦燥。この不安。 自分だけではないと確認するために。 人と繋がり、心を正しく導くために。
あの日の嬉しかったこと。あの日の悲しかったこと。あの日感じた、初めての怒り。これまで感じたそいつらが累々積まれるミルフィーユ。 人目に見えぬその層を、人は「記憶」と呼んでみて、記憶と呼んだそいつらは、遠いいつかの「思い出」と呼ばれて。 生けとし生けるすべての人が今日も心で作られる。今日も心を作ってる。 ただ、生きる答えを探し求めて。 人はみな、心重ねるミルフィーユ。
驚くほどに嫌いだった冬の朝も、待ち遠しかったはずの桜でさえも、失う時には寂しくて、手に入る時には嫌気がさして。 気づいていたけど目隠ししてた。私は心底ないものねだり。
一段上がったその先に広がる青さに心踊らせ、ちらりと見える白雲に柔らかな季節を感じたりして。 そんな当たり前の感情を、人は「青い春」と呼んでみたりする。
宙に漂う誣言をパクパク食べて、気のみ気のままヒラヒラと、漂う姿を見つければ、心晴れやか清廉金魚。
足下を通り抜けるそいつは、くるぶしを撫でて体温を奪ったら次を探して通りすぎる。 頬を撫でるそいつは、心地よさと椿の香りを運んで来ては、心に安らぎをもたらして通り過ぎる。 当たり前にそこにいて、当たり前過ぎて気づかれなくて。そんな風に思いを乗せて。
口から出た言葉は糸になって、糸繰り人形の人間を操る。操られる人間も、操る人間もその糸は複雑に絡んで人間模様を織りなすという。
時々考える。この地球はうまくできすぎていると。 時々考える。地球がうまくできているのではなく、地球をうまく利用しているのかと。 時々考える。この世界は本物かと。 時々考えて、すぐにこの思考に意味がないことを知る。それ自体にも意味はないことも。
今日、明日の生き方を考える。明日、生きているとも分からないのに。 今日、昨日までを振り返る。昨日、起きたことは変わらないに。
かつて過ごしたその場所を、誰もいないと知りながら、何故か横目で覗くのは、目線の先のその場所がきっと記憶の塊だから。