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【インタビュー】子どもたちに愛される経験を。 真紀さんの温かさは、こうして育まれた。

 このnoteでは、社会のセイフティーネットから漏れた友人支援ための「寄付などの返礼品としてのインタビュー」を、本人の了承を得て掲載しています。ここに登場するのは「微力ながら」と寄付を申し出てくれた一般の人たちです。そんな、温かい人たちのインタビューを読んでいただければ幸いです。

 真紀さんは出会った時から、母なる大地みたいな人だった。人に安心感を与えてくれて、私が何をやっても、何をやらなくても、何を言っても、何を言わなくても「大丈夫だよ」という気持ちで接してくれる。だから真紀さんの前ではいつも、無理のない自分でいれる。

 だからきっと、小さい頃から人の笑顔の中心にいて、みんなから愛されて育ったのだと思っていた。大きな愛の源はそこにあると思っていた。

 でも、2時間じっくり話を聞いているうちに、真紀さんの大きな愛は、寂しさや深い孤独を体験しているからこそ、心の奥の方まで届いて、じわじわ温めてくれるのだと思った。4月のぽかぽか陽気の日に、川のほとりで話してくれたことを、ぽかぽかした気持ちのまま、書きたいと思う。

孤独だった、小学生時代

 真紀さんは、お兄ちゃんと妹の間に生まれた3兄弟の真ん中っ子。きちんとしたご両親の元に育てられ、特にお母さんは、服を自分で縫って子どもたちに着せてくれるような、何でもできる人だった。でもあまり笑顔の記憶はない。「お母さんは頑張りすぎて、いっぱいいっぱいだったんだと思う」と真紀さんは振り返る。

 小学生になると、地元のバスケットクラブに所属して練習に励んだ。背はまだ低かったけど、めきめきと上達し、3年生でレギュラーになった。でもそれが、チームメイトの嫉妬を買うことになった。バスケット内だけでなく、学校でもその嫉妬心が向けられ、それからというもの、自分が存在しているのかどうかがわからないような、孤独の中で過ごした。

 真紀さんは「私がダメだからこんな目に合うんだ」と自分を責めた。もともと繊細な性質だったのが、ますます人の目が気になり、「人に嫌われたくない、好かれたい」と、人への執着が強まっていった。

 中学に進学すると「強くならないかん」と自ら変わる決意をした。反抗期も手伝って、やや悪ぶった中学生となった。ただ、友達と一緒にいながらも「人に嫌われたくない」という思いは相変わらず強かった。

 高校では隣町の進学校に入学した。特に将来なりたい職業もなく「華やかな仕事がしたい」と漠然と思っていた。小さい子の面倒を見るのは得意だったけど「保母さんにだけはならない」と思っていた。でも、高校卒業後に進学したのは県外の保育の短大だった。

保母さん、専業主婦、カフェ店員

 短大では軽音サークルに入り、バンドを組んでボーカルとして歌ったり、彼氏もできて順風満帆な学生生活を送った。でも恋愛となると、「寂しい、かまってもらいたい」という気持ちを素直に表せずフラれてしまった。「彼にとってはめんどくさい彼女だったと思う」と振り返る。

 「保母さんにだけはならない」はずだったけど、短大在学中に保育園の実習で感動し、楽しさを覚えた。短大卒業後は地元の幼稚園で保母さんとなり、4年間務めて24歳で結婚。寿退社して、2人の子どもにも恵まれ、10年間は専業主婦をした。子育てがひと段落したころ、カフェで働くことになり、そこで働いていた若い子が「将来は自分もカフェを開きたいんです」と目標をもって、がんばっている姿に「自分のやりたいことがあるなんてすごい!」と衝撃を受けた。カフェでは1~2年働いたのち、家族のために家庭に入った方がいいと思うことがあり、専業主婦にもどった。

本当の愛を知る

 その後は、特に目標があったわけではないけど、たまたま名前を見てもらうことがあり「言葉に力を持っている。その言葉で人を生かすことも殺すこともできる。癒しの仕事についたらいい」と言われ、リンパマッサージの資格を取った。リラクゼーションサロンに勤めながら、ベビーマッサージを教えてもらい、赤ちゃんの温かさに感動した。

 仕事は楽しかったけど、30代半ばの頃、アトピーがひどくなった。ステロイドを塗ってなんとか耐えるも、ふと「ステロイドを塗った手で、人に触っていいんだろうか」と思い、マッサージができなくなった。サロンを辞め、症状もひどくなり、家にいて何もできない状態になった。これまで「ちゃんとしなきゃ、人から嫌われないようにしなきゃ」という思いで生きてきたのに、それすらできなくなった。「母親として機能しない。人間失格だ」と自分を責めた。

 でもそのとき、小学4年生と1年生だった子どもたちは、アトピーを冷やすための氷を持ってきてくれたり、ただただ、そばに座ってくれた。元気でいた時と変わらず、無償の愛で寄り添ってくれた。真紀さんは生まれて初めて、そのままの自分が愛されていることを感じた。そして気づいた。「子どもは、親が与えたい愛を求めているんじゃくて、愛そのもので親を受け入れてくれる存在だったんだ」と。

 小さい頃から人一倍愛されたかった。でも方法がわからなくて、人の目を気にして、人に嫌われないようにがんばってきた。なのに、子どもたちは何もしていない、何もできない自分を愛してくれている。真紀さんは心の底から満たされた。ずっと欲しかったものが、そこにあったことに気づいた。

 その後は体調も徐々に回復し、知人の誘いで、キッズパークの立ち上げに携わることになった。そこで読み聞かせをするうちにリトミックに出会い「なにこれ、めっちゃ楽しい、やりたい!」と、研修を受けるため、半年間大阪に通った。

リトミック教室「Pong♪Pong♪Pan♡」スタート

 そして2010年、0歳から親子で楽しめるリトミック教室「Pong♪Pong♪Pan♡」をスタートさせた。最初は2組だった参加者も、その年の末には10組に増え、翌年には20組になった。リトミックを始めてから「幸せしかない、楽しいしかない」とうれしそう。学生時代の話とは明らかにトーンが変わって、真紀さんの表情が明るく輝き出した。そして、ここからの真紀さんの話がほんとうにステキだった。

 「リトミックで子どもたちとカード遊びをするんだけど、並べてあるカードの中から、”トマト”とか、私が言った絵のカードを子どもたちが見つけるのね。見つけた子がすごいとかじゃなくて、カードを見つける手前の子どもたちの表情とかが、すごくかわいいんよ。それで、発見した時のこどもの表情や、感情の動きに気づくと、とっても幸せな気持ちになるの。それを、お母さんたちにも気づいてもらって、一緒に幸せな気持ちになりたいの」

 真紀さんは結果を求めていない。見ているのはいつも、子どもやお母さんの”感情”だ。「感情がないと『~せねば、~すべき』になるからね」。

優しく育ってほしかったら、優しくしてあげることが一番。

話を聞ける人に育ってほしかったら、話を聞いてあげることが一番。

人を愛せる人に育ってほしかったら、愛してあげることが一番。

優しくされた記憶があれば、その心地よさを覚えていて、人に優しくできるから。

「私の存在で、誰かに喜んで欲しいとずっと思っていたら、子どもたちが喜んでくれたんよ。だから、リトミックを始めてからの11年間は、"目の前の子どもを笑顔にすること"だけをしてきた。子どもに笑ってもらうことが私のミッションで、1人1人を笑顔にしていくと、どんどん”うれしい”でつながっていくんよ」と、笑顔が全開になった。

 そして「自分が小さい頃にしてほしかったことを、今、その時の自分にしているのかもしれない」と振り返る。10代の頃は自分が嫌いだった。20代の頃もたぶん嫌いだった。30代になってちょっと好きになれた。40代になって好きになった。「今、過去の自分の答え合わせをしている気がする。『あの時寂しかったから、あんなことを言ったんだ。あの時こうしてほしかったから、あんなことをしたんだ』」と。だから、リトミックに来てくれるお母さんたちにも、自分の失敗談をたくさん話しているそう。「助けるとか、支えるとかじゃなく、出会ってよかったな、会いたいなと思ってもらえるように。しんどくなった時に思い出してくれたらうれしい」と言う。

 「リトミックはお母さんたちにとって、週一回でも、子どもに怒らなくていい時間となったらいいなと思う。子どもには過去も未来もなく『今』しかないから。私は小さい頃から人一倍人の目を気にしてきたから、人の感情には敏感で、子どもたちの気持ちもよくわかる。お母さんたちは、子育てに慣れていなくて、余裕がなくて、子どもたちの感情に気づいてあげられないこともあると思う。だから、リトミックの時間は、子どもたちの感情の動きに気づいて、お母さんたちも幸せな気持ちになってほしい。子どもたちにとっても、お母さんにとっても、愛された記憶を作り続けたい」。

 真紀さんのリトミック教室「ping pong pang」は「その子の”うれし・たのし・だいすき”を見つける」がテーマ。そこで真紀さんは、そのまんまの、子どもたちとお母さんたちを受け入れる。そしてどんな人にも、心から「大丈夫だよ」と言ってほほ笑む。お母さんたちの中には「今日は真紀さんの『大丈夫だよ』だけを聞きに来ました」と言う人もいるという。

 インタビューは4月の晴れた日に、真紀さんが買ってくれたとびきり美味しいバインミーと、なじみの店でテイクアウトしたコーヒーとともに河原で行った。話を聞いているだけで癒されて、とても心地よかった。そして、太陽みたいな真紀さんが子どもたちやお母さんたちに与えてくれる無償の愛が、この地域からどんどん広がっていくのがイメージ出来て「ありがたい」と思った。

 帰り際、真紀さんが「私がやりたいことやりだしたら、子どもたちも、旦那さんも、やりたいこと始めたんよ」と言った。知ってる。真紀さんの旦那さんも、子どもさんたちも、ちょっとびっくりするくらい、すてきな人たちだ。


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