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他人に期待をしないということ

友達が、人に見返りを求めるのをやめようと頑張っているらしい。

私も、期待せずに友達と接しようと意識し始めた。

そんな矢先にこのツイートが回ってきて、そうそうと納得しながらリツイートをした。

でも具体的に、他人に期待をしないってどういうことなんだろう。私たちは、他人に何を期待してしまっているんだろう。

〇〇をすべきという期待

母親なんだからお弁当を作って当たり前。彼氏なんだから長電話に付き合って当たり前。

そんな風に、相手との関係や役割から、勝手に「〇〇すべき」と思い込んでしまうことは多い。

ただ改めて考えてみるとそんな決まりはなく、本来は相手がもしやってくれたら嬉しいなくらいのことだったりする。

この期待がもっと大きなものになると、ステレオタイプ、つまり女性とはこうであるべき、結婚とはこうであるべきなどの縛られた概念になるんだと思う。

でもよく考えてみると、やっぱりそれって過度な期待。

男の子なんだから泣かないでほしいも、女の子なんだから大人しく可愛らしい色のものを身につけてほしいも、相手がその期待に応える義務なんてないよなぁと思う。

自分がした行為を返してくれるという期待

こんなに尽くしたから、愛を返してくれるだろう。前に助けてあげたから、助けてくれるだろう。そんな期待も、過度だったりする。

それが、自分が良かれと思って勝手にしたことなら、なおさら。

道端で知らない人に急に飴を渡されて、飴あげたんだからこの重い荷物を運んでくださいって言われても困るみたいな、そんな感じ。

アイドル化からくる期待

アイドルと言われると歌って踊れる美男美女を想像するけれど、英語で「idol」は憧れ、理想という意味。

この人は完璧だ、必ず仕事をこなしてくれると思い込んでいると、その人が少し失敗をしただけでがっかりする。

それは、自分が勝手にその人を理想化、憧れの対象にして期待してしまっているから。

誰も自分のゴールになるために生きているわけではないから、自分のイメージと違ったことを誰かがしていても、それがその人なんだと丸ごと受け入れられたらいいなと思う。

「期待をしない」は悲しい世界の始まりではない

こんな風に改めて考えていると、
「じゃあ、人に優しくしても意味がないってこと?」
「誰かに憧れを抱くのはいけないってこと?」
「誰かを信頼してはいけないってこと?」
という風に、なんだか悲しい世界へ誘導されている気分になるかもしれない。

でもね、この考え方は人生を明るくするためのアドバイスだと私は思う。

私が好きな哲学の一派にストア派というのがあって、そこに属するエピクテトスはこう言った。

Some things are in our control and others not. Things in our control are opinion, pursuit, desire, aversion, and, in a word, whatever are our own actions. Things not in our control are body, property, reputation, command, and, in one word, whatever are not our own actions. (The Enchiridion, Epictetus)

ざっくり訳すと、自分の考えや望むもの、行動は自分の手の内にある。逆に、自分の持ち物や周りからの評価は、自分の力の及ばないところにある。

だから、後者に惑わされて、いちいち落ち込んだり人に怒ったりして生きるよりも、自分の力でなんとかできる範囲をていねいに扱うことに意識を向けましょうという考えだ。

誰かのために何かができるのは素敵なこと。ただ、それを見返りを求めるからではなく、自分がしたいからする。そう思えるようになったら、それはとても美しいなと思う。

それに、誰かに裏切られたように感じたとき、「裏切られたんじゃなくて、自分が勝手に期待をしてしまっていたんだ。」と思えると、人間不信になるよりも結構楽だ、本当に。もちろん、心からそう思うには、私もまだまだ訓練が必要だけれど。

そして、他人に期待をしなくなったら、自分の人生を自分のために生きやすくなる。

自分が何を考えて、何を信じて、そして何を求めて進むのか。それは、他人の期待に応えるためではなく、自分のために決めていいこと。

もちろん、進む中で自分の力ではどうしようもない障害にぶつかることもあるかもしれないけれど、それらは自分次第だってことは、忘れないでいたい。

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