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「憧れ」をタイムカプセルに入れよう

好きなものだけに囲まれて、嫌いなものを避けて生きられたら楽だけれど、人生そんなに甘くない。

そんなことを、受験勉強に励んでいる高校生の妹を見て思った。


第一志望の学校から不合格通知が来たり。
憧れていた企業からお祈りメールを受け取ったり。
好きな人から振られたり。
応援していたアイドルが突然解散したり。

もちろん努力の方法がないわけではないけれど、その時会社が欲しがる人材なんて時代の流れや会社の方針によるし、人の選択や好みに他人が口を出す権利はない。

だから、好きで好きで憧れていたものから離れなければならない時は、きっといくら一生懸命に頑張れる人であっても、いつか来る。


そんな時、科学的な根拠は何もないのだけれど、無理に嫌いになろうとしないほうが、心の傷の回復は早い気がしている。

志望校の悪い口コミを検索したり、落ちた会社に行かなくて良かった理由を考えたり、好きなアイドルの嫌いなところを探そうとしたって、「でも…」と好意が募るだけだ。

嵐の活動休止のニュースが出たあと、インスタグラムのストーリーに「もう嫌い」と投稿し、数時間後に「やっぱり嫌いになんてなれない、一生ついていく」と宣言した友達を見て、嫌いになろうとするほど嫌いになれないし、忘れようとすればするほど忘れられないのが人間だよなと思った。


それはきっと、憧れていたものを嫌いになることは、それに憧れていた過去の自分も否定することになっちゃうからなんじゃないかと思う。

ー告白しなかった恋は、どこへいくんだろうー

こんなコピーがあるけれど、告白しなかった恋は、自分の中にきれいな思い出として残ってくれる。

でも、告白して叶わなかった恋、一生懸命勉強したのに落ちた志望校、応援していたのに解散してしまうアイドル。これらはもう、きれいな思い出として心に残ってはくれないかもしれない。

それなのに、憧れていた過去の自分まで否定してしまったら、相手にも、今の自分にも、過去の自分にも否定されて居場所がなくなった「思い」は、居場所がなくなってしまう。

それが本能的に悲しくて、どこかに自分の思いを留めておきたくて、嫌いになりたいものほど嫌いになれないのかもしれない。


だから、好きなものは好きなままで良いんだと思う。それを好きだった自分も、その思いも、否定しなくていいんだと思う。

あれも良い、でも今の自分が持っているこっちもいい。

そう思えるように今できる努力をしたら、きっと過去の自分が、居場所を無くしかけていた思いを、いつかのために取っておいてくれる。こっちが正解だったんだと思えるその日まで。

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