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「慣れる」ことが、ふと怖くなった話

初めは理解できなかったり感動していたものにも、いつかは慣れる。

そんな当たり前のことに気が付いて、ふと怖くなった。

変えたいと思っているものは今変えないと、幸せな「今」に気付こうとしないと、だめなんだと思った。

そんな話をします。

・いろいろなものに慣れた私
・心が揺れ動かなくなることが怖い
・どうやったって慣れてしまう私たちはどうしたら良いんだろう

いろいろなものに慣れた私

アメリカの大学に通っている私は、夏休みに一時帰国をして、また最近アメリカに帰ってきた。

するとあら不思議、驚くほどにいろいろなことに慣れていることに気がついた。

あんなに嫌だった食堂の淡白な料理に対して何も思わず、その場に並んでいるもので適当に食事を済ますことができるようになっている。

生徒が積極的に参加する授業形態にも、もう感動なんてしない。成績のために授業で少し発言して、授業が終われば淡々と宿題をこなす。

日本からアメリカに飛び立つ時は、たくさん嫌な部分を思い出して億劫に思っていたから、意外だったけど、悲しいわけでもなかった。

ただ、一年で人は大抵の環境に慣れるんだということを実感した。

心が揺れ動かなくなることが怖い

「慣れ」はきっと、生物学的な防御反応なのだろう。いつまでもつらさを感じていたら、生きていけない。

でも、何かに慣れるということは、熱意を失うことでもあると思った。

たとえば、キャンパスの食事がとてもとても物足りない、変えたい、そんな風な熱意。

何かを変えたい、同じ不満を持っている人を助けたい、もっと良くしたい。そんな変化を望む気持ちは、慣れればあっさりなくなってしまう。一年もしないうちに。

変えたい変えたいと思いながら生活しているうちに、自分もその環境の一部に飲み込まれていく。

それから、何かを感じていたいという気持ちもある。

だって、何も感じなくなるって、怖い。

何も感じなくなったから良いかと妥協を繰り返したその先に、何があるのかが想像できないのが怖い。

悲しいことを糧に悩んで考えているのに、嬉しいことで幸せを感じているのに、何も感じなくなったら、毎日が白黒になりそうで、怖い。

どうやったって慣れてしまう私たちは、どうしたら良いんだろう

 私はどう慣れに立ち向かえばいいのか。とりあえず、二つ対策を考えてみた。

一つ目が、古い感情を取り戻すこと。

昔書いた日記を読み返すでも、写真を見返すでも、誰かへ送った愚痴を探すのでも良い。

昔の振り幅が大きい感情に触れるだけで、色は少し戻ってくる。

二つめが、新しく感情を集めること。

すぐに慣れるといっても、世界は広い。

一年で慣れてしまうなら、一年ごとに生きる場所を変えてしまえばいい。本当にそんなことできるかどうかは置いておいて。

そこまでしなくても、新しいイベント、新しい人、新しい趣味、本、映画。慣れた毎日に新しいものを取り込む方法はいくらでもある。

そして、慣れた世界への見方を変えることでも、新しい感情はきっと集まる。

見過ごしている小さな幸せ。意識をしなければ気が付かないほどの小さな変化。それらを発見しようと意識しながら、慣れた生活を送り直してみる。

実はそのために、#黒りすハピネス というタグを作ってみたりもした。あと三年間のうちに、私はここでどれだけ新しい「ハピネス」を見つけられるだろう。

卒業する頃に、同じ世界での新しい感情の見つけ方を、たくさん紹介できるようになっていたらいいな。

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