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正しい答えより、正しい問いを。

正しい答えが見つからないと思ったら、そもそも問いが正しいかどうかを考えた方がいい。

哲学の授業ではよく、「この質問は間違っている」というフレーズを聞く。

初めは「答え」と聞き間違えたのかと思ったけれど、「質問」が間違っているで合っていた。そして授業を何回も受けるうちに、質問は間違えやすいものだということを知った。


間違え方のひとつに、まちがった二択で考えてしまうというのがある。

例えば、よくある問いに「好きなことを仕事にするべきか、得意なことを仕事にするべきか」というものがある。

この質問の言わんとすることはわかるけれど、この質問は視野を狭めてしまうとも思う。

紙か電子書籍か、人間か機械かといったように、世の中は二項対立であふれている。しかし、ゆっくり読みたい小説は紙の本、たくさん持ち運びたいビジネス書は電子書籍というように、使い分けるという答えで良いはずなのだ。

この問いの場合、好きなことを得意にする、もしくは得意なものを好きなやり方でするなど、両立もあり得る。しかし、この質問をしてしまったら、あたかもどちらかしか選べないような印象だ。


また、質問の論点がずれていることもある。

私は、仕事を選ぶときに本当に大切なのは、自分の理想像だと思っている。その仕事を続けた先に、理想の自分がいるかどうか。

だから、論点でない「好き」と「得意」という軸で考えていても、時と場合によるという答えしかでないのではないだろうか。

例えば、アイドルになりたいけれど、英語が得意だから英語教師を目指すべきか悩んでいるとする。

そんなときは、売れていないけれど歌と踊りを一生懸命練習している自分と、地元の塾で生徒に慕われる英語教師の自分を想像してみればいい。そして、どちらの自分になりたいかを考える。


もちろん、アイドルになっても売れるかどうかがわからないから迷うのだ、売れないならならないという人もいるだろう。

でもそれなら、好きと得意どちらを選ぶかよりも、自分がどれくらい売れるチャンスがあるのかを考えたほうがいい。

また、英語教師の一日ってどんな感じなんだろう。どれくらい楽しいんだろうという質問も出てくるかもしれない。

それらの質問は、経験がある人ならきっと答えられる。でも「好きな仕事と得意な仕事、どちらを選ぶべきですか?」という質問をしている限り、満足のいく答えは得られない。


昔の私は、AとBどちらがいいと思いますか?と聞かれたときに、うーんどちらもいいところと悪いところがあるから、バランスを取ればいいんじゃないかなと思っていた。

それも間違ってはいない。でも、バランスを取るという答えは、実は何も答えていないに等しい。Aが合っていた時は、Bだったね。Bが合っていた時はAにするべきだったと、結果論にしかならないから。

でも別の軸を探してみると、AとBだと思っていたけれど、実際はCかどうかが大切というときが、結構ある。そしてそのCという新しい軸を増やすには、やっぱりいろんな本を読むのが良い。

この本は、抽象と具体という大きな軸が考えるときに増えたので、おすすめ。


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